個展(リンク)出品作の紹介の第5弾は、橋川文三著作集(筑摩書房刊)の第9巻を emon 化した作品。emonというのは、以前から書いてますように、「絵」を並列させて模様化したものです。本の emon 化の場合は、ふつう表紙を上にして、背表紙も見えるような角度から描くんですが(リンク)、この本の場合は表紙に出版社のマークの空押しがあるだけ……なので、いつもの角度ではなんの本かよくわからないことになります。そこで、背表紙が上になるように立てて emon 化してみました。

やる前は、これでもあんまりおもしろいものにはならないかな……と思っていたんですが、やってみてビックリ。けっこうおもしろいじゃん!と思うのは、作者の私だけなんだろうか……本みたいに形が90°の角度からできてるものを emon 化すると、なぜか必ずパースがかかるのですが(私の場合)、できるだけ詰めて emon 化するというタテマエ上、下段の本は、上段の本の間に挟みこまれるように描かれることになります。これが、思いがけない整列感をうみだして、なんか兵隊さんが「前へ~ならえっ!」とやってるみたいになりました。

B5の紙にやってるのですが、紙がこの2倍あれば、パースの角度が中央で入れ替わって、左半分が裏表紙、右半分が表紙が見えるようになったかな……と。これは、いつかやってみたいと思います。ところで、この橋川文三さんの著作集ですが、なぜこれをやったかというと、この第9巻の中に「ナショナリズムーその神話と理論」という論文が収められていて、これがとてもおもしろかったので……私は知らなかったんですが、この論文は、この分野(日本のナショナリズム研究の分野)では、一応基礎的文献になってるみたいですね。

今、NHKの大河ドラマで、吉田松陰と周辺の人々のことをやってますが……なぜか、今、若い人たちの間に、日本のナショナリズムのことを知りたいという気運が盛りあがりつつあるようです。だけど危険……この分野は、不用意に入りこむと頭がかーっと熱くなって冷静な判断力も吹っ飛び、それこそサッカーなんかでナントカジャパンと連呼する(野球でしたっけ?)……そのあたりと変わらないことになりかねない……むろん野球やサッカーで熱くなるのはけっこうなことなんですが(たぶん)……

しかし、学問ともなれば話は別で、そこはやっぱりスポーツのノリではまずかろう……と。そこで、いちどきちんと「日本のナショナリズム」について調べたいなあ……と思ったときに参考になるのがこの橋川さんの論文……ということで読んでみたんですが、さすがにヤカマシクいわれるだけあって「研究者の目」を失っていないなあと思いました。常に全体を見ながら、できるだけ公平に、客観的な視野からの論述が心がけられている……しかも「熱い心」は失わず……ああ、これは、きちんとした研究書だなあと思いました。

私は、この分野についてはほとんど知らなかったんですが、橋川さんのこの本は、ずいぶん勉強になりました。まあ、ご本人が、各項目についてはあんまり掘り下げられなかったと書いておられるように、専門の方にとっては物足りない内容かもしれませんが(元の本は新書ですし)、初学者ならこれで充分……まずは、日本のナショナリズムにおけるいろんな問題点が、各時代ごとに(幕末からはじまります)丁寧にとりあげられていて、とっかかりとしては充分すぎるのではないかと……短い論文ですが、内容は濃いです。

橋川さんはもう亡くなられているそうですが、今のこの風潮をご覧になっていたら、どう思われるでしょうか……日本って、いったいなんだろう……おりしも、政府と沖縄県の対立はもうにっちもさっちもいかないところにさしかかりつつあるような気がします。橋川さんがこの本で整理提唱した問題意識は、今なお……というか、今だからこそ、世の中に、静かに訴えかけるものがあるような気がする……みんな、自分が日本だ(日本人だ)と思っているけれど、じゃあその「日本」ってなに?……うーん、なんだろう……

*橋川文三さんについて:1922(大正11)~1983(昭和58年)。長崎県上県郡峰村(現対馬市)生まれ。東京帝国大学法学部卒。日本の政治思想史の研究者で、明治大学政治経済学部の教授だった。三島由紀夫との論争でも知られる。日本浪蔓主義や超国家主義の研究で、独自の視点をひらく。この分野で後世に与えた影響は大きい。東京都知事であった猪瀬直樹氏の先生でもあった。著作は『日本浪蔓派批判序説』や『ナショナリズムーその神話と理論』など。筑摩書房から全10巻の著作集が刊行(2001)されている。

個展(リンク)出品作の紹介第4弾は、emon シリーズから、ハリ・クンズル作『民のいない神』(木原善彦訳、白水社、2015)。最新刊のこの小説を emon 化してみました。ちなみに、emon というのは私の造語で、「絵紋」つまり、「絵」を並列して模様化したシリーズにつけてるシリーズタイトルです。文字を模様化した作品を jimon シリーズとしてつくっていますが、これにならったもので、「絵」は実物でもなにかの図案でもなんでもいい……まあ、文字以外の図像はすべて「絵」と解釈してやってます。この作品の場合は、図書館で借りてきた本をオブジェとしてやってみました。

この本の作者のハリ・クンズル(Hari Mohan Nath Kunzru)さんは、1960年生まれのインド系イギリス人作家だそうで、今はニューヨークにお住まいだとか。この小説は、カリフォルニアのモハーベ砂漠(Mojave Desert)に立つとされる3本の奇岩(ピナクル・ロック)をめぐる物語で、いろんな時代のいろんな人たちが登場するんですが、ストーリーの骨格は、アメリカに移住したインド人の2世?のジャズ(ヘンな名前ですが)が奥さん(白人女性)と子供づれでここを訪れ、息子のラージくん(これも変わった名)が「神隠し」にあうという……そんな感じです。

で、この「神隠し」が、もしかしたら「宇宙人による誘拐」ではないかという雰囲気が漂う……この3本の奇岩の場所には、大航海時代にここに来たスペイン人神父が「天空からの人々」にあったという話からはじまって、1950年代にはあるUFOコンタクティを「教祖」とするUFOオカルト教団みたいなのが繁殖したりとか、いろんなお話が錯綜しながら紹介されます。ラージが「神隠し」にあうのは2008年で、基本はほぼ現代のお話なんですが、主人公格のジャズは、物理学者で、金融業界で確率論を応用した投資ソフトの開発にたずさわって高給をもらっている。アメリカの金融業界では、こういう人(研究者くずれのIT技術者)が多いようで……

リーマン・ブラザーズの倒産による金融危機とか、それが実は彼が開発の一端を担っていた投資ソフトによるものだったのかもしれない……とか、サブストーリーにもことかかず、全体はまことに映画的……『クラウドアトラス』という映画がありましたが、雰囲気はそんな感じです。この小説は、やがて映画化されるかもしれません……まあ、それはともかく、読んでいて感じたのは、「寸止め」が効いてるなあ……と。「宇宙人」の雰囲気は濃厚なれど、『未知との遭遇』みたいなふうには絶対ならない。金融ソフトの問題も、「かもしれない」以上には行かない……

要するに、「ご本尊」は絶対にわからない、見せない……ということなんですね。現代の考え方としては……「そういうもの」を信じる人はいてもいい。だけど「そういうもの」が実在するのかどうかはわからない……それは、結局永久にわからないのであって、われわれは、そういう時代のものとして、ここに立つしかないのだ……と。これ、やっぱり今の時代の気分だと思います。信じたい人は信じてもいい。だけど、それが「本質」というところまでは絶対に届かない……まあ、数学でいう「漸近線」みたいなもので、無限に近寄れるけれど、ドンピシャにはならない……衝突回避というのか……

考えてみると、「絶対に信じる」というところを起点にして、いろんな争いが起こっているように見える。まあ、イスラム国なんか典型ですが、思想の核、自分自身の核……そういった「のっぴきならない場所」はつねにソフトフォーカスでぼやかす……「他者」が入れる余地を残しておく……これが、単なる「処世の智恵」を超えて、すでに「思想自体」になりかかっている……そんな印象を受けました。ポストポストポストの時代というか……もう、いろんな争いに嫌気がさした世代……そういう世代が大人になって、ちょっと今の文明はどうにかならんもんでしょうか……という、そういう控えめな気持ちの吐露みたいな感じもします。

ところで、訳者の木原さんの解説によると、3本岩の下にコミュニティをつくったUFOカルトにはモデルがあるそうで、1950年代のアメリカのコンタクティ、ジョージ・ヴァン・タッセル(George Van Tassel)氏のカルトなんだとか……小説に出てくる3本岩はフィクションですが、ヴァン・タッセルさんは、モハーベ砂漠に実在する「ジャイアント・ロック」という奇岩のそばに拠点をもうけて、たくさんの人を集めて「UFOコミュニティ」みたいなのつくってたらしい……世界中から「信者」が集まって、一時はタイヘンなものだったらしいですが、小説の中には、それを彷彿とさせるシーンがなんども出てきます。

ヴァン・タッセルさんがコンタクトしていた宇宙人の集団は、「アシュター・コマンド」(Ashtar Command)と呼ばれる方々ですが、この名称は、小説の中でもちゃんと出てきます。日本語訳では「アシュター銀河司令部」となっていましたが……小説では、むろん、宇宙人本人?が出てくるわけではなく、ヴァン・タッセルさんがモデルとなっているとおぼしき「教祖」さんがメッセージを受ける先が、この「アシュター銀河司令部」……ちなみに、この「アシュター・コマンド」の通信は、現実世界では今も継続しているようで、ネットで読めます(しかも日本語訳で)。
http://nmcaa-kunimaru.jp/message.from.ashtar.html

アシュターさんの肖像を載せているサイトもありました。金髪碧顔のもろコーカソイド(アシュターさんは、この人種に縁が深い)で、「司令部」というだけあって軍服を着ている……もう、ここまでくるとどっかのアニメの世界だ……
http://ameblo.jp/kenji9244/entry-12011111812.html
クンズルさんのこの小説は、さすがに寸止めが効いていて、こういうところには絶対に立入りません。ここへ立入ると、寿命が短いというか、その先がないというか……これはまた、「創作のヒミツ」でもあって、ある高度を保持しないと、創作自体が瓦解崩壊する……

ということで、この小説は、悪く言えば隔靴掻痒、永遠の宙ぶらりん。良くいうなら自己抑制が美しい……そんな感じでした。それと最後に、私とこの小説の出会い……ある日、いつも行く街の図書館で、ふと新刊コーナーを見たら、新刊が1冊だけ……で、それがこの本だった。「民のいない神」?なんじゃろ……タイトルにひかれ、岩の横に停まる昔のアメ車の表紙にひかれてつい手に取る……訳者の木原さんの解説をちょっと読んで、ん?ヴァン・タッセル?……よし、これ借りよう……ということで、考えてみればふしぎな出会い……新刊の棚に1冊だけ、なんかいぶし銀の光を放ってそこにありました。まるで私を待つかのように……

個展(リンク)展示作品紹介の第3弾。やはり、アラクネンシス・シリーズより、Slant45 です。大きさは60cm角。Slant は「傾き」という意味らしいですが、この作品は、法則(自分で決めた)として「45°傾ける」ということで描いてます。ひとふでがきです。

基本は正方形、長方形など、90°の角度でできている図形ですが、ひとふでがきで出発点に戻ったときに、そこから45°の角度で新たに線を引いてみる……すると、45°に支配された世界が生まれてきます。ただし、機械ではなく手でひっぱる45°なので、けっこういいかげん……

まあ、アバウト45°ってことで、実際には30°になってたり50°になってたり……するので、そこからまた45°で線を引くと90°に戻るはずが戻らなくて、微妙にズレていきます。それでもおかまいなく強引に45°を連続していくと、ズレがかなりのものになって……

その結果、ズレは45°を越えて90°になっちゃうとまたもとに戻る……ということで、なにをやってるのかワケがわからなくなるんですが、その間にいろんな図形が生まれてきます。うーん……これが楽しい!というと、もう病気とみられてもしかたないんですが……

アラクネンシス・シリーズは、一つの特性として、「積分的影響」というのがあります。つまり、それまで引っ張ってきたすべての「線」の持っている特性が全部積分されて「次の線」の特性を決めていく……これが基本になるんですが……

ところが、あるとき、突然、それまでの積分効果をドバッと無視する「やりたい放題線」が現われることがあって、これがまたオモシロイ……まあ、「やりたい放題」といっても、基本法則(自分で決めた)である「45°の傾き」は一応守るようにはするんですが……

ということで、そんなこんなでやっていったらできたのがこの作品です。下の方から描いていますが、上へのぼるにしたがい、さまざまな物語が生まれていきます……といっても、その物語は、私にしかわからない(……そして、画面の者たちと共有する)ものなんですが。

デティールはこんな感じです。