個展が終わりました。今回は、はじめからおわりまで会場にいたので、とても充実した一週間でした。はじめは雨もようでしたが、徐々にお天気もよくなり……ギャラリーは半地下なのでちょっと冷えましたが、外はぽかぽか陽気のなかを人々が楽しそうに歩いていく……街はいいなあと思います。とくに、このあたり……ギャラリーの場所は神宮前なんですが、街いく人はみんな楽しそうです。みなさんのなにげなく歩いていく様子がとても印象に残りました。

作品の写真はいろいろ載せてきたので、今回はちょっと変わった角度から……




ドローンが世間をにぎわせてますが、作品上空を低空飛行で撮ったらこんな感じかな……東京には一週間いましたが、宿泊場所は、井の頭公園の近くの、とても落ち着いた住宅地でした。公園でも楽しそうに歩く人々……日本は、まだ平和なんですね……写真は、公園の池、そして水面にゆらぐ木の枝。


これは↓公園の近くの家の壁にあったホウロウ製の……なんていうんでしょうか、看板? 電話が、昭和40年代かな?カワイイですね。なぜか、杵築大社の交通安全のオレンジ色のシールが……昔は、ホウロウでこんなものまでつくっていたんですね。この技術は、まだ残っているのかな?……
個展(リンク)展示作品紹介の第6弾は、現代美術の世界では知らない人はいない、マルセル・デュシャンの『大ガラス』から、その主要部分である「花嫁」と「独身者」をとりあげて emon 化してみました。まずは、「花嫁」ですが、こんな感じになりました。

そして、「独身者」は、こんな感じ。

デュシャンは、20世紀前半を代表する現代美術家で、フランス生まれですが、アメリカに渡り、ニューヨーク・ダダの中心人物となり、その影響は戦後も続き、その作品の解釈をめぐって、いまなお多くの研究が行われていますが、完全に解明されているとはいえない……もう、その存在自体が一個の神秘現象となってしまっている、「神話の人」……「神話の……」という肩書きはけっこうよくききますが、この人ほどそれにふさわしい人はいないんじゃないかと……

で、彼の代表作とされているのが、通称「大ガラス」(The Large Glass)、正式名称が、「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」(The Bride Stripped Bare by Her Bachelors, Even)という長~いタイトルのガラス作品。高さが3m近くあるでっかいものですが、上下に完全に2分されていて、上が「花嫁のパート」、下が「独身者のパート」となっています。この作品、実は未完で、完成をみないままに作者がお亡くなりに……

作品の全体像は、いろんなサイトで見ることができますが、ウィキの写真がきれいなのでリンクをのせておきます。日本語版は残念ながら内容が削除されてしまっているので、英語版になりますが……
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Bride_Stripped_Bare_by_Her_Bachelors,_Even
この写真で、「花嫁のパート」の左側にある図像が「花嫁」(The Bride)、「独身者のパート」の左側にある群像が「独身者たち」(Bachelors)です。花嫁は一人ですが、独身者は複数形で、数えてみると9人います。デュシャンによると、みなさん「制服」を着用されておられるようで……こんな感じです。

さらによく見ると、9人の独身者たちのそれぞれの頭の部分から細い線が伸びています。この線は、デュシャンが独自に開発した「停止原器」というモノサシの3D投影になっているのですが、その線が右の方で一カ所に集まり、そこには漏斗状の円錐があります(ここから先は、上の絵には出てきません)。この円錐は、弧を描いて7個つらなり、右へ伸びています。右にいくにしたがって色が濃くなっているのがわかりますが、これは、「停止原器」によって集められた「独身者たちのガス」が濃縮されているんだとか……

そうなのです!独身者たちは、頭からガスを漏らす……これって、なんか悲壮というか悲哀というか、独身男性の生理を、その精神的な妄想の部分までそっくりとらえて流しこんでいるような……まあ、アイロニーといえばそうなんですが、それにしても切実な……この「濃縮過程」を稼働させるエネルギーは、独身者たちの右下にある水車によって与えられます(水車は「落ちる水」によって回る)。水車の回転は、ソリのような装置を通じて七つの漏斗の上にあるクロスした2本のバーを開閉させ、その力が、下方にあるチョコレートグラインダー(3つの筒のある装置)を回転させる……

こうして濃縮された「独身者のガス」は液体状となって七つ目の漏斗の先端から発射され、画面右下の部分に落ちて再び上昇し、「眼科医の検診」と呼ばれるリング状の部分を通って、画面を二分するバーを越え、ついに「花嫁のパート」に到達し、銃弾となって打ちこまれます。「花嫁のパート」の右には、よく見ると銃弾が打ちこまれたあとの穴があいてます。一方「花嫁」は、独身者たちの働きかけを受けて、「内燃機関」によって稼働をはじめる……このあたりは、20世紀初頭に登場して、あっというまに世界中を席巻した自動車のイメージがあるのでしょうか……「花嫁」の図像はこんな感じです。

このように、この大ガラス作品は、直接的には男性と女性の性的交渉を描いたものであることはまちがいないんですが……実は、それだけにとどまらず「奥の意味」がいろいろあって、一時は「錬金術的解釈」が話題になりました。まあ、ユングみたいな感じになるんですが……もう、いろんな人が、いろんなことを言ってるうちに、この作品は、どんどん神秘のベールに包まれて……当のデュシャンは、そんな様子を笑ってみているのかもしれませんが、かしましいことです。実物大のレプリカも3体つくられて、その一つは日本の東京大学にあるそうですが……

私は、この作品の実物は見ていないんですが(実物はフィラデルフィアにある)、こどもの頃、美術全集で写真を見て、「なんてヘンな作品だろう……」と思ったことを覚えています。その作品は、美術館にある状態を撮ったもので、背後に窓があって外の風景が見えていた。最初は洗濯物を干した風景の写真?と思って、かなり長い間そのイメージが定着していました。大人になって、現代美術に興味を持ってからいろいろ調べてみたんですが……なんか知れば知るほど、これは無限に奥が深い作品かもしれない……と思うようになって、完全にデュシャンの術中にはまった人の一人に……

私は、やっぱりこの作品は、人間の持っている「芸術衝動」の根元みたいなところにあるものかなあと思います。それはおそらく、身も蓋もない言い方をすれば、常に「性的衝動」とリンクしているんですが……人間の文化って、実はかなりの部分がそこに根ざすのかもしれない……というと、フロイトみたいになるんですが、フロイトのように文章で言われると「ン?それはちょっと……」となっても、この大ガラスみたいな感じで提示されると、「うーん、それはそうかも……」となるからふしぎです。

この作品については、考えたり思ったりすることはそれこそ無限にありそうですが、そのあたりはまた別の機会に……最後に、emon 化してみて思ったのは、やっぱり図像としての構成が、ものすごく考え抜かれているなあ……と。いろんな図像を emon 化してみましたが、図像としての構成は、ゆるいものもあれば緊密なものもある。emon は、基本的に同じ図像をくりかえし描くので疲れますが、図像の構成によって、その疲れ方がだいぶちがいます。総じて、構成のゆるいものほど疲れが大きい……描いていて、だんだんいやになる速度が早いです。

ところが、このデュシャンの花嫁と独身者は、どちらもなかなかイヤにならない。描いていると、なるほど……という発見がけっこうあります。つまり、そこまで形が絞られ、研ぎすまされて提示されている。やってみて、「かたち」というのは、人間の精神にとってはけっして平等ではないなあ……ということを思いました。カメラの目なんかは、それこそどんな形も平等に扱うのでしょうが、人間の目は、そのまま精神につながっているからそうはいかない。われわれがふだん、いろんなものを見ているときも、見るという「積極的行為」において、すでに選択や思考をしてしまっている……

現象学なんかでは、「現象学的還元」(エポケー)ということをいいますが、あらゆるものを、いっさいの価値観抜きに見るということは、これは実は、ほんとうに難しいことだと思います。見たものをなんどもなんどもくりかえし描いてみる……つまりemon 化をやってみると、そのことが実感されてきます。精神によって鍛えられていないかたちはゆるく、すぐに崩れていきますが、このデュシャンのかたちのように、もうこれしかないというところまで突き詰められたかたちは丈夫だ……なんど描いてもびくともしない……スゴイ……と思ってる私は、またデュシャンに笑われているかもしれません。「ン? キミの思いこみなんじゃないの?」とか……

個展(リンク)展示作の第5弾はCDです。私がこれを見つけたのは、名古屋の地下街の中古CDを置いているお店で、まず表紙にひかれました。「オフィチウム?なんじゃろ……?」表紙にはラテン語で「Officium」と書いてあるだけなんですが、まともに(というか、日本の学校で習う読みで)読めば「オフィキウム」かな?「オフィチウム」というのはイタリア語に引かれた読みだと思いますが、日本語訳はこれで通っているみたいですね。

発見したのはもう15年くらい前でしょうか……発売は1994年とのことですが……半信半疑で買って、帰ってかけてみると……なんとなんと、これは、もしかしたら今までにまったく聞いたことのない音楽ではないか……ああ、心がもっていかれる……ということで、このCD、なんと150万枚も売れたそうです。ここを見てる人の中にも、「あ、持ってる」という方もけっこうおられるのでは……

このCD、ECMニューシリーズというレーベルの一つなんですが、このレーベルは、クラシックと他のジャンルの境界をまさぐっていて、けっこうユニークな名盤をたくさん生んでいます。ただ、欠点は「高い」ということなんですが、中古屋さんで丹念にさがすとけっこう出てきます。まあ、それだけ売れているということかな……中でもこの「オフィチウム」は売上げダントツ……

演奏は、ノルウェーのジャズ・サックス奏者のヤン・ガルバレクと古楽合唱分野で今やオーソリティになってしまったヒリヤード・アンサンブルのコラボ。合唱は、グレゴリオ聖歌や16世紀スペインの作曲家、クリストヴァル・モラーレスの曲を忠実に歌いますが、そこにガルバレクが即興でサックスをのせていく……このカラミが、もう、実に、そういう曲があるかのごとく自然で、響くんですね……

響く……そう、サックスの音が無限空間にワーンと広がる中に合唱の聖なる純粋な響きが、どこまでも透っていきます……それはもう、宇宙空間のような、はたまた素粒子の世界のような……時のかなたから人の心の深みをすぎて、無色透明のはずなのにいろいろな色が淡く輝くような気がする……なにかこう、太陽系を旅だって無限の銀河のさらに向こうを旅するような……

あるいはまた、牢獄。それも、牢獄アーティストのモンス・デジデリオが描くような、ヨーロッパ中世の無限に上に伸びる石の地下牢……そういうところに、私は閉じこめられているのだけれど、なぜか天上から光がさしてきて、冷たい石の床にまで「救いの模様」を描いていく……ああ、神は、こんなところに人知れず生きる私のことも、けっしてお忘れではなかったのだ……と。

けっこう書きすぎかもしれませんが、はじめて聞いたときは、まさにそんな感じを受けました。おお、これは、もはや究極の音楽かもしれぬ……この感じは、やっぱり今でも聞くたびに漂います。柳の下にどぜうがなんとやらで「ムネモシュネー」という続編も出ましたが、やっぱりこの「オフィチウム」の衝撃に比べるとはるかに及ばない……最近(2010)、「オフィチウム・ノヴム」といのも出たそうですが……

これはまだ聞いてませんが、やっぱりこの「初発の衝撃」にはかなわないでしょう……ということで、このCDを emon 化してみることにしました。表紙の銅像の少年?の顔が、もうなんともいえずそこはかとないんですが、その雰囲気をうまく出すのは難しい……25枚分描きましたが、結局うまくいったのはたった一つだけ……これも、100%のできではないですが、まあ、なんとか……

あとは、どっかこっかオカシイなあ……もっと大きな紙にもっとたくさんやればいいのかもしれませんが、まあこのあたりが限界です。ところで、この「オフィチウム」というラテン語は、「聖務日課」と訳すそうですが、カトリックでこういうのがあるそうですね。毎日毎日やる……一日何回もやる……ナニをやるかはナゾですが、とにかくナニカを、毎日毎日欠かさずやる……

ところで、私の手元には、もう一つ別の「Officium」というCDがあって、こちらは3枚組です。先の「Officium」に曲が収録されているモラーレスより少しあとのスペインの作曲家で、トマス・ルイス・ヴィクトリアという人の「Officium Hebdomadae Sanctae」(聖週間聖務曲集)という曲を3枚のCDに収めたもの。こちらは、サックスは入らない、由緒正しい?合唱のみの響きですが、これがまたすばらしい……

ということで、だんだんわかってきたのは、これはたぶん、グレゴリオ聖歌から16世紀くらいまでの曲そのものがすばらしいんだな……と。まあ、昔でも、合唱に合わせて金管を演奏する風習もあったそうですので、ガルバレクとのコラボもまんざら「とってつけた」ものでもないらしいんですが、やっぱり結局、「元の曲」そのものが宇宙的というか、無限の時空をどこまでも漂うようにできている……

後期バロック、とくにバッハの曲なんか、もう「比類なきすばらしさ」といってもいいんですが……でも、「純粋性」という点からすれば、もしかしたらこの16世紀のモラーレスやヴィクトリアには負けているかもしれません。こういう曲をきくと、やっぱり人間「心を磨く」ことって必要だなあ……と、いささか謙虚になりますね。天正少年使節団がローマに派遣されたのが1582年なので……

彼らは、もしかしてこういう曲をきいていたのかもしれない……ローマへの道のりで、スペイン、ポルトガルを通ってますし……それに、ヴィクトリアの「Officium Hebdomadae Sanctae」は1585年にローマで出版されていますが、ちょうどこの年に少年使節団はローマに到着して教皇グレゴリオ13世に会ってます。その謁見のときに、この Officium が響いていたとしたら……

彼らは、当時最新の「現代音楽」をきいたのだ……と、妄想は留まるところを知らず……それが、時を超えて500年後、日本のある地方都市の中古CD店で私に発見され、ついにこういう emon になってしまいました……人間の歴史って、ふしぎですね。