この写真は、JR名古屋駅近辺の超高層ビル群を、名古屋駅の西側から撮ったものです。野外活動研究会のみなさんと駅西地区を歩いているときに撮影したもので、全部のビルが画角に入りきらなかったので、一部合成してありますが、だいたいこんなものです。この日は、6月なのに秋のような快晴で、JR名古屋駅の2棟の超高層ビル(高さ約250m)が宇宙空間のような濃い青空に映えて、絶好の撮影日和でした。
クレーンが何本か建っていることからあきらかなように、JR名古屋駅では、今、超高層ビルの建設ラッシュです。といっても、東京に比べればぜんぜんたいしたことはないんですが……何年か先(平成39年度)のリニア新幹線開通をみこんでのことでしょう。リニアで、東京―名古屋間が40分になるとのことですが、試みに、JRの在来線で、東京駅から40分でどこまで行けるかを見てみますと、中央線を使うと各駅停車で吉祥寺が38分、三鷹が41分、快速に乗れば40分で武蔵小金井まで行けます。
では、JRの他の線ではどこまで行けるか……JR総武線の快速で千葉まで41分。東海道線に乗ると、通勤快速で藤沢まで41分。京浜東北線に乗ると、さいたま新都心まで43分(快速)、桜木町まで39分(快速)。山手線に乗れば、40分で池袋です(外回り)。ということは、料金は別として、時間だけでいうなら、名古屋は、東京駅からこれくらいの「近さ」になったということで、もはや「関東圏」ともいえる。ラクラク通勤圏だし、ちょっと買物……みたいな感じ(これは名古屋から東京へ)でも、関東圏と変わりません。
ということで、名古屋駅前が、関東圏のいろんなスポットとよく似た姿に変貌しつつあるのもアタリマエなのか……しかし、ここでちょっと気になるのが、「第2震裂波動線」の存在です。「震裂波動線第2」ともいいますが、「だいにしんれつはどうせん」と発音してみると、なんだかおだやかではありません。まあ、字面からもヤバそうな感じですが……濃尾大地震というのがあって、これは、明治24年(1891)年に岐阜県の根尾村付近を震源に発生した巨大内陸地震なんですが、実にマグニチュードが8.0!(8.4という説もあり)。内陸で発生した地震としては、日本の歴史上最大とされ、中部地域に大きな被害をもたらしました。
このとき、家屋倒壊などの被害が大きかった場所をピックアップすると、それが3本の線状に濃尾平野を走っている……いちばん西が大垣付近から養老断層に平行する第1震裂波動線、次に、岐阜と一宮を結ぶ東海道線に平行する第2震裂波動線、そして3番目が、犬山付近の第3震裂波動線……このうち、東海道線に沿って走る第2震裂波動線が、名古屋駅前にポンポンできている超高層ビル群との関連では気になるところです。大丈夫なのかなあ……まあ、震裂波動線の存在自体、単に家屋の密集地が線路沿いに集中していたから、そういう線があるように見えただけだろうという人もいるのですが……
あるいはまた、JR東海道線の地下にある断層を推定する人もいます。東海道線を挟んで、地下に重力異常帯があることは確かなようですが、それが断層によるものなのかどうかははっきりとはわかっていないらしい……いずれにせよ、けっこう不気味なお話ではあります。私なんかは、こういう超高層ビル群を見ると、必ずそれが大地震で崩壊したり、大津波に呑まれたりする光景を想像してしまうんですが……こどもの頃は、大地震で街が崩れたり、200mを越す大津波にすべてが水没する光景ばかりノートに描いていて、親に怒られたりしましたが……これはもう、条件反射みたいにそう思ってしまう。
神の罰というか、みずからの業によるむくいというか……こういう文明はロクなことにはならないゾという思いが常についてまわります。人々は、日々の快適さを求め、少しでも楽な暮らし、楽しい生活をしたいと願っていろいろ動きまわるのですが、その反作用の方はあまり省みない。10cm楽になれば、どっかで10cm苦しくなっているはずで、それでこそ公平というもの……「楽」の極地があのゲンパツだと思うのですが、あそこまで過激に楽をしようと思ったら最後、そのツケがどんなにオソロシイことになるか……人間の目は、前にしかついてないので、後は常に死角になっている……
そこから、やっぱり「闇の呼び声」が聞えると思うのです。人が楽をした分、そのしわ寄せは必ず自然に入っていって、そこで蓄積される。そしてある日……人もやっぱり「自然」のうちに入るのでは……そうも思いますが、しかしどこかが決定的にちがう。では、その違う点はなにか……名古屋駅前の超高層ビル群を見ていると、そこには「むきだしになった数理」を感じます。「自然」ももちろん「数理」に支配されているのですが、それは、多くの場合見えにくい。オウムガイの貝殻とフィボナッチ数列のお話なんかは有名ですが、あそこまでみごとでも、やはりどこか「探索の手」を必要とする。
しかるに、人工物は、この超高層ビル群のように、数理が、そこにそのまま、むきだしである。ガウディの聖家族教会なんかはそんな感じもしないのですが、あの場合は、ガウディは、数理をとことん「自然のごとく」に使おうとしている。しかしそれは、今の科学技術には合わない。ハイデガーのように、テクノロジーが数学や物理学の理論をつくると考えるならば、やはり「むきだしのテクノロジー」によって「むきだしの数理」が創られる。では、「かくされた数理」というのは……というと、これはやはり「自然」の中に見られる数理になってくるのでしょうか。
ハイデガーは、テクノロジーと、それによって形成されるサイエンスは、「意味」を「伏蔵」(verbergen)しているといいます。要するに、そういうものは「見えているかたち」の背後に、その本当の意味を隠し持っている。これに対して、「自然」の方は、「意味」はそこにそのまま見えていて、「数理」の方が奥に隠されているような……そういう意味では、ここに、「意味」と「数理」の逆転関係が見てとれると思います。そして、大地震や大津波のような、人間の生活に決定的なダメージをもたらす現象においても、それが「自然」である限りは、その「数理」は奥に隠されて見えない。
第2震裂波動線が、本当に存在するのかいなか……JR東海道線の真下には断層があるのかどうか……こういうことは、今の最新の科学技術をもってしても決定的にはわからないようです。しかし人は、「あからさまに見えている数理」を用いて、そういう「あやしい地盤」の上に、これでもかと超高層ビルを建ててしまう。そこには、人間の世界を貫くもう一つの法則、「経済法則」というおかしがたい?システムがはたらく。しかし、この「経済法則」って、いったいなんなんだろう?「自然法則」でないことはたしかですが、では「数理」に無縁かというと、そうでもない。いったい何?
これは、人間の精神にとって、もしかしたら「伏蔵された」数理なのかもしれません。「自然」が数理を伏蔵しているように、人間の精神は「経済法則」を伏蔵する。濃尾平野が震裂波動線や断層を伏蔵しているように、人の精神は「経済法則」を隠し持っているのか……そうすると、自然と人は、たがいに伏蔵している「数理」と「経済法則」でせめぎあうことになりますね。で、その結果、目に見える状態になったのが、この駅前の超高層ビル群……であるとすれば、もう一つの段階として、「破壊された超高層ビル群」も、やがては「目に見える状態」になるときがくるのでしょう。
今の段階では、人が伏蔵する「経済法則」が「数理」を完全に支配しているので、目に映るのはピカピカの立派な超高層ビル群です。しかし、自然が伏蔵する「数理」が大地震とか大津波として現実のものになれば、人の「経済法則」は敗れて、超高層ビル群は、「数理」を伏蔵する「自然の姿」に戻っていきます。人の営みは、数理と経済法則(金の力)を完全に支配できたかのように思いますが、やはりゲンパツの炉心にわだかまっている熱と放射能のように「伏蔵」された「意味」は消えさることなく、みずからが表舞台に立つ日を夢見て、濃尾平野の奥深くに、今も眠っているのでしょうか……













