利己主義ではないと思います。私だって行きたくない。だれでも行きたくない。戦争に行けば、殺される。殺されなければ、殺す。どっちかになる。どっちもイヤ。これって、「利己主義」なんでしょうか……

仕事でつらいことがあると、自分はそれをやらずに、なるだけ同僚にやらそうとする。これはまちがいなく「利己主義」だ。じゃあ、戦争は「仕事」なのか……職業軍人にとっては「仕事」なのかもしれませんが……

日本には、憲法9条があって、軍隊はなく、軍人もいないので、「戦争という仕事」はない!ということになります。というか、「戦争を仕事とする」ということをやめましたということを言ってるということになります。

これは、もしかしたら、人類史上、画期的なことではないか……人類の歴史の上で、「戦争は<仕事>ではない!」とここまではっきり言い切った国はなかったのではないか……これはスゴイことだと思う。

日本以外のどこの国でも、「戦争という仕事」は「ある」ということになります。軍隊があり、職業軍人がいる。その人たちは、「戦争」を「仕事」としている。そういう人が「戦争に行きたくない」と言ったら……

それは、「職業倫理」からいえば、自分の職業を否定していることになるのでオカシイ。「戦争に行きたくない」なら、職業軍人という「仕事」をやめるべきだ。しかし、日本の自衛隊は「軍隊ではない」から……

自衛隊員の人は、堂々と「戦争に行きたくない」と言えるし、それはもちろん「利己主義」ではない。自衛隊員にしてそうだから、もちろん、自衛隊員以外の日本の国民が「戦争に行きた行くない」といっても……

それを「利己主義だ」と言って誹謗するのはオカシイ……そういうことになります。つくづく日本はいい国だなあと思います。世界で唯一、「戦争に行きたくない」という自然な思いが憲法上も「利己主義」にならない国……

ふりかえってみれば、過去の日本には、明確に「職業軍人」の身分がありました。武士……戦いを職業とする人たち。彼らは、もう、生まれたときから「職業軍人」で、一生それは変わらなかった。

今の日本人の倫理観や道徳意識は、主として、この職業軍人クラス、つまり、武士階級にならってできてきたような感があります。むろん、以前は、農民には農民の、町人には町人の倫理、道徳があったのでしょうが……

幕末から明治維新にかけて、武士階級が崩壊するとともに、なぜか、武士階級のものだった倫理観、道徳観が、農民や町人のクラスにまで波及したような気がします。床の間、端午の節句、エトセトラ……

「草莽(そうもう)の志」……今、大河ドラマでやってる吉田松陰の言葉だったと思いますが、橋川文三さんの本(リンク)を読んでみると、幕末には、日本全国にこれが自然に湧いて出てきたらしい。

外圧。攻め来る米欧に対して、権威ばかりの武士階級にまかせとっては、もはや日本という国は守れん!ということで、農民も町人も、自主的に軍隊組織のようなものをつくって、「国を守れ!」と立ち上がったとか。

橋川文三さんは、日本の各地に残る、こうした運動の檄文や上申書の類を具体的に紹介しながら、「国の守り」が武士階級の手から、「国民一人一人」に移っていった様子を描写する。そして、これが、奇妙なことに……

明治期の天皇主権、国家神道みたいなものから、反権力の民権運動にまでつながりを持ったことを示唆する。今ではまるで反対に見えるものが、実は根っこでつながっていたのかもしれない……これは、実にオモシロイ。

今からン十年前、夏のさかりのある日、K先生のご自宅で、三十名くらいの人たちと、吉田松陰の「留魂録」の講義を受けた。先生は、みずから松陰そのものと化し、その場は、百年の時を遡って、松下村塾そのものとなった。

みな……熱い志に満たされて、静かに夏の夕暮れが……今でもよく覚えています。幕末の志士の「志」というのは、こういうものであったのか……しかし、今、私は、M議員の「利己主義じゃん」という上から目線の言葉よりも……

「利己主義」と誹謗された学生さんたちの行動の方に、この「熱い志」を感じる。どちらが松陰の「やむにやまれぬ魂の動き」を受け継ぐものなのか……私は、学生さんたちの姿の方に、圧倒的にそれを感じます。

「戦争に行きたくない」。それは、今に生きる人の、まことに正直な気持ちだと思う。それはもう、「日本」とかの小さな区分を越えて、人類全体の価値観につながる「思い」だから。もうすでに「ベース」が変わっている。

職業軍人のいない世界。日本は、世界で唯一、それを実現した国であり、「戦争に行きたくない」という思いが、全世界で唯一、「利己主義」にならない国だ。「人類みな兄弟」と言葉ではいうが……

職業軍人という「仕事」が憲法上成立している国においては、その言葉は逆に成立していない。自分の国を守るために、相手の国の人を殺すことを職業としている人たちがいるから……

「人類みな兄弟」が憲法上、きちんと成立している国は、現在のところ、地球上で、日本だけということになる。そして、日本は、先の大戦で、大きな犠牲を払って、この価値観を手にしたのだと考えたい。

「戦争に行きたくない」は、殺したり、殺されたりしたくない、という、まことに当然で自然な思いであり、日本は、世界で唯一、それが憲法上、正当であると認められる国だと思います。それを「利己主義」というのは……

歴史を百年戻って、松陰の時代に生きることになる。それでいいのだろうか……Alle Menschen werden Brüder! 「すべての人が兄弟となる」松陰の時代に遡ること30年前に、ベートヴェンが第9交響曲でこう歌った、その言葉……

それが、今、少しずつではあれ、実現されつつあるのを感じます。世界中で。スバラシイ……ということで、「次の課題」は、「すべての<存在>が兄弟となる」でしょう。21世紀は、ここに向けて開かれるのか……

今日の写真も、一つ前の記事と同じく、2013年の愛知トリエンナーレのオノ・ヨーコさんの作品の一部です。「休みを欲す」……これはもう、利己主義じゃないね。切実だ……この人、はたして休めたのだろうか……

自民党議員のMさんが、ツイッターでバカなことを書いた……ということで、ちょっと話題になりました。国会前で、政府の新安保政策に抗議のデモをしている学生たちの団体を指して「戦争に行きたくないというだけの利己主義じゃん」と言ったとか言わないとか……いや、「言った」ワケですが、ニュースで聴いて「えっ?!」と思った。コレって、あと一歩で「非国民」……例の、オソロシイ言葉です。「お前ら、非国民だ~!」まあ、結局、そう言いたいんでしょう。

でも、このMさん、自分が戦争の現場に行く覚悟があって、そう言ってるんかな? 「じゃあお前が行け!」とダレでも言いたくなる。この発言、もし、最前線に送られた自衛隊員のものだったらまだわかります。しかし、自分はお山のてっぺんでアレコレ指揮するだけの議員さんの発言……卑怯なやっちゃなあ……そう思いました。自分が戦争に行くわけじゃなく、人を戦争に刈り出す立場の人間……ABくんもそうだけど、「自分が行けよ!」ということですね。結局は。

子どもの頃、ナポレオンの伝記を読みました。いちばん印象に残っているのは、彼がまだフランス軍の下士官だったころ、部隊を率いて最前線に立つわけですが、いつも最前列の真ん中の、いちばん弾が当たりやすいところにいて、「われに続けー」と言って真っ先にとびだして、敵軍につっこんでいった。まあ、子ども向けのものだから、おもしろおかしく……ということはあるんでしょうが、子どもの私は感激しました。なるほど、こういう指揮官なら兵もついていく……

しかるに、自分は安全地帯にいて、「お前ら戦争に行けー、拒否するヤツは非国民じゃ~」ですか。Mさんは京大大学院修了とか言っておられますが、京大も堕ちたものよ……まず幼稚。で、卑怯。彼が、いわゆる「ABチルドレン」なのかどうかは知りませんが、自民党、こんな議員さんが増えているんだろうか……そして、こういう感覚の若い人たちが増えているのか……で、この言葉を言われた当の学生の団体の代表さんの言葉。「ABくんは戦争やらんと言ってるが……

ABくんの手下が、ヤルということを白状してるじゃん」……正確ではありませんが、なんかこんな感じでした。うーん……なんも、ここまでレトリックで言わなくてもいいのになあとも思います。もっとダイレクトに反発すればいいのに……言論戦って、乗ったらマケなんじゃ……言葉は、「正直に使える限界」というものがあって、それを超えると、どっかにヘンな意図が入りこんでくる。私の場合、この代表さんの言葉には、もうすでに「政治的なニオイ」を感じて、ちょっとヤになった。

M議員の言葉と比べてみますと、オドロクべきことに、M議員の言葉の方が「正直」です。スナオに自分の愚かさ、幼稚さを晒している。そういう点ではとても正直な言葉の使い方だと思う。学生代表の方は、運動を通じて、やや「政治的」になってきているのかな?とも思います。まあ、あの発言だけではわからないのだけれど……おそらく、学生代表さんの方が、アタマは格段にいいのでしょう。でも、アタマのいい人は、それなりのワナに陥りやすい。

ここらへん、ビミョーな「ねじれ」を感じて、オモシロイなあ……と思います。M議員の発言の場合、反発する人は瞬間的に反発する。賛同する人も同じ。明暗くっきり分かれます。ところが、学生代表さんの発言は、さっと聴いているだけではわからない。言ったことをちょっと考えて、なるほどそういうレトリックだとわかるしくみ。「敵の発言の穴を突く」というのは、政治的には常套手段なのかもしれませんが、学生さんにソレをやってほしくないなあ……

あのデモは、学生さんたちの「やむにやまれぬ心」が、限界を突破して現われてしまったものだったのでしょう……しかるに、今は、M議員の発言の方に、「やむにやまれぬ」ものがあるような気さえする。「てめーら、非国民だ!」というのは、権力におもねって自分たちの安全を確保しようとする幼稚な人々の「やむにやまれぬ気持ち」であることは容易に理解できます。まあ、要するに、「権力の側に立つか、それに逆らうか」という単純な2択だと、私は思う。

いやいや、ものごとはそう単純にいくものではない……そうおっしゃる方もおられるかもしれませんが……しかし、現場では、結局ものごとは単純で、いつも「2択」になるんだと思います。M議員は「政治の現場」にいる。彼のように、その世界での経験が浅い人にとっては、ものごとはすべて「2択」にしか見えないんだろーな……しかるに、学生代表の方はどーなんだろー……デモの現場のシュプレヒコールは単純なのに、マイクを向けられた発言は、けっこう複雑だ。

どーなってるんだろー……と思います。これから、どーなるのでしょーか。私の心としては、学生さんたちの運動を応援したい。でも、発言の「スナオさ」からいうと、M議員の言ってる方がストレートだ。自分自身の幼稚さを、ここまで率直に表現した発言って……まあ、ネットではいろいとアリかもしれませんが、議員の立場では、あんまりなかったような気もします。それだけに、やっぱりなにかが変わりつつある……という、心底不気味なものも感じます。

2.26のときもそうだったけど、単純スナオな心は、「ある勢力」に狡猾に使われてしまう。M議員と2.26の「英霊」の心を比べるなど、とんでもない冒涜なのかもしれませんが(なんせ、英霊さんたちは身体を張ってやった)、こういう「幼稚なスナオさ」は、一種の「のろし」というか、「やがて来るべきもの」のオソロシイ意図を最初に体現したものである場合が多いのでは……あのときも、結局、国民全体が「非国民思想」に染まって、滝壺に堕ちるレミングの群れのごとく……

あのときは、まあ、私は生きてませんでしたから、いろいろ読んだりみたりしたものに基づいて思うのですが、「愚かな」レミングの群れを止める方の勢力は、たぶん複雑すぎたんだと思います。インテリ社会派、というのでしょうか。それは今も同じで、アタマで考えていろいろリクツをこねるので、国民の大多数の心に響かない。スナオさが足りんというのか……「鬼畜米英」というストレートなメッセージの方が、問題なくダイレクトに、大多数の国民の心に響いた。

今の学生さんたちの言動は、すばらしいし、勇気ある行動だと思います。それだけに、かつての「インテリ社会派」の陥ったワナにはまらないでほしい。吉本隆明さんは、かつて、自分が安保闘争に参加したことについて、「吉本ではなく一参加者」として参加したんだという立場にこだわったが、ここだと思います。彼は、「知識人のワナ」に対して極度に敏感なところがあって、そこが共感を呼び、また、「インテリ社会派」から嫌われたところでもあるのでは……

とにかく、ものごとはスナオがいちばん。私はそう思います。がんばれ、学生さんたち! ……いつも、ダレがきいてもすぐにわかる言葉でしゃべる。それが、ダイレクトに人の心に響く(反発であれ共感であれ)。この立ち位置だけは、M議員の発言に学んでほしいけど。

正確な情報として、M議員の言葉を掲げておきます。
(学生代表の言葉は、見つけられませんでした。上に書いたのは、テレビ放送で聴いた記憶です。)

★M議員のツイッター
SEALDsという学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は「だって戦争に行きたくないじゃん」という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ。


写真は、2年前の愛知トリエンナーレで見た、オノ・ヨーコさんの作品の一部です。

きのうは、灼熱のアフリカのような(といって、行ったことない)一日でした。雲一つない空から真夏の太陽が容赦なくでろでろ……その熱い大気の中で、うちの村は「お役」の草刈り……「お役」というのは、街の方にはわからないかもしれませんが、村中総出で「公共」のことをやる。まあ、たいがいはいろんなところの草刈りです。

耕作放棄地。持ち主が街に出ていってしまったり、あるいは高齢化で耕すことができなくなった田んぼや畑……もともと、植物を育てるのに最適にしてある地面なので、生えるは生えるは……梅雨から夏にかけて、あっという間に2mを越す雑草の「大草原」になってしまいます。昭和天皇は、「雑草という草はない」といわれたそうですが……

まあ、「雑草」です。いなかの人は、「雑草だらけになる」というのが耐えがたい苦痛で、それはそのまま、「人間の領域」が「自然」に犯されていることの証明にほかならない。草を刈らずにほっとくと灌木が出て、小動物や蛇がくる。さらにほっとくと、ついに大きな木が生え、熊みたいな大型動物もやってきて、「自然」に戻っていく……

街に住んでいたころは、なんとなく「自然が減ってる」というイメージを持っていましたが、まるで逆。自然と人間が、その領地をめぐって熾烈な争いをくりひろげているフロンティア(つまりいなか)では、住人の減少と高齢化によって「限界集落化」が進み、人間の領域はどんどん自然に奪いとられていきます。スゴイです。

私のいる村でも、住み始めて10年の間に「耕作放棄地」がどんどん増えて、イノシシが昼間でも平気で出没するように……静岡県で「電気柵」の事故がありました、もうみんな、あの「スタンガンなみの威力」のキョーフの秘密兵器?で対抗するしかない。でもダメみたいで、被害はいっこうに減らない。いなかは、「スタンガンゾーン」と化してます。

ということで、行政は、耕作放棄地の草刈りに、補助金を出してくれるみたいですね。持ち主が、「もう耕せません!」と申請して認められると、そこの草刈りにいくばくかのお金が出る。まあ、2、3万のものらしいですが……そこで、村中総出で草を刈って、あとでその補助金で、冷たい生ビールを一杯……バーベキューパーティーとか……

ということで、みんなでバリバリ刈りまくるんですが……昨日は日が悪かった。あの太陽……あの状況ではもう殺人兵器だ。耕作放棄地って、もともとは田んぼや畑だから、日影というものがない。そこでまた、膨大な熱と騒音と排気ガスを出す暴力的な大量殺戮兵器(草にとって)である草刈り機で、バリバリ……ひたすらばりばりばり……

ぶったおれる人が出てもおかしくありません。私自身、あやうく熱中症になりかけて、あわてて近くの湧き水をアタマからかぶってなんとか病院搬送だけは免れましたが……もうみんな、少し刈ってはすぐ木陰で一休み、頻繁に水分補給をしてなんとか乗り切り、ともかく予定の分だけは草刈り終了……で、昼からは生ビールパーティー……

メンバーの平均年齢は65才くらいでしょうか。若い人はいません。いちばん若くて40代。最高齢の方は86才といってました。この年齢層の人たちがそのままあと10年トシをとれば、草刈りメンバーは半減するかも……そうなると、刈れる面積も当然減って、世界はますます草に覆われ、「自然」の大津波が村をのみこんでいきます。

どーなるんでしょーか……街に住む人には絶対にわからないことですが(私も街にいるころはわからなかったけれど)、この日本という国がどこで「もっている」かというと、結局、こういう自然と人間の「フロントライン」で維持されているような気がします。ここが崩壊すれば、やがては街の生活も崩れていかざるをえない……

そんな気がする。いくら街が街であり続けようとしても、自分たちの知らないところで、「国土全体」が崩壊しはじめている。今はみな、あの暴力的な「草刈り機」を使いますが(正確には「刈り払い機」というそうですが)、あれを動かしているガソリンは、中東で取れて、今話題の「ホルムズ海峡」を抜けて日本まで運ばれてくる。

何億年も前に死んだ植物の身体からできた油を地球の裏側から運んできて、それで日本のいなかのフロンティアを、なんとか「自然」から「人間」の側に取り戻しているのが現状です。どーなるんでしょーか……たぶん今がギリギリの状況で、あと10年たてば、いなかは「自然」の怒濤の大波にのみこまれてしまう。「一票の格差」とかで……

街の人は、だれもいなかのことなんか見向きもしないうちに、実は、いなかでは、「タイヘンなこと」が進行中……それは、「地の神々」がその「智」を失って、荒れた眠りに入っていく姿だといってもいいでしょう。「限界集落」では、残された高齢者たちが、必死になって「地の神々の死滅」をくいとめようとしてるんですが……

夏の日の幻想。クサカリくんは草を刈る。ただひたすら草を刈る。バリバリ、ばりばり……今日はどこまで刈ったやら……