名古屋の覚王山に、「えいこく屋」というカレーと紅茶の店があって、よく行きます。昔は、すぐ近くに住んでいたので、毎週のように行ってたことも……ここのカレーは、スタッフがインドの方で、今ではそういうお店は珍しくないですが、40年くらい前?からそうなので、当時はけっこう貴重な本格インド料理の店だったと思います。

年配のご夫妻がオーナーでやっておられますが、スタッフは若い人が多く、ここで修行して、自分のお店を持った方も。ここは、よくはやっていて、店内は狭いのですが、いつもいっぱいです。とくにランチタイムは行列になることも。といっても、そんなに長い行列でもなく、お店の前に数人たむろする程度なのですが。


ここがはやるのは、カレーの味がいいのと、もう一つは雰囲気だと思います。手づくり感というのでしょうか……昔から、けっこういいかげんな内装(失礼)ですが、それがまたカレーという食べ物にはよく合う。カレーって、ピカピカのお店で食べるものではないですね。インドに行ったことはないですが、インド風……

といっても、ガネーシャ像とか置いてある程度で、過剰にインドではなく、インド音楽もかかってません。そう!思いだしましたが、ここの大きな特徴は、BGMがない!ということで、これは昔からガンコにそう。なんの音楽も流してません。早い時間で人がいないと、店内はホントに静かです。話をするのもはばかられるほどに。

今のレストランとか喫茶店って、かならずなにか、BGMが流れてますね。でも、ここはなんの音もない。だから、隣の席の話も丸きこえ。こういう感覚って、ちょっと珍しいというか、あんまりない気がします。「素」といったらいいのか、そんな感覚です。騒音レベルをBGMであらかじめ上げておくということをやらない。

そういう雰囲気が好きで、よく通ったのかもしれません。なんか、心の底から落ち着くというのか……仕事が忙しかった頃は、ホントにここにくるとホッとしました。全身から緊張がひゅーと抜けていくというのか……オアシスという言い方がありますが、まさにそんな感じでカレーを食べ、ナンをかじり、チャイを飲んだ……

雰囲気のもう一つの要素として、街並があげられるかもしれません。ここは、覚王山日泰寺という大きなお寺の門前町というか参道で、昔は、えいこく屋さん以外は普通の家が多かったのですが、今は若者向けのいろんなお店が並んでいます。家賃が安い貸家もたくさんあるようで、そういうところを利用して、若者が店を開く。


ということで、あっというまに人気の街並になってしまいました。といっても、ふだんは静かなんですが、お祭りのときなどはものすごい人出……それと、日泰寺の「弘法さん」が毎月一回あるんですが、このときはお年寄り、とくにおばあさんが一杯……で、「おばあさんの原宿」とか呼ばれているそうな。

そういうときは、このえいこく屋さんもおおにぎわい……でも、ふしぎなことに、長い行列ができるわけではありません。せいぜい、お店の中に数人。ときによったら外にも数人……そういえば、名古屋では、東京のような「長蛇の列」ができてる光景をあんまり見ません。名古屋の人は、行列がきらいなのかな?

店内が満員になっても、行列をしてまでは……ということで、みなあきらめて他の店へ。名古屋の人は熱くないというか、あきらめがいいというか、合理的というか……街並もそう。京都とか高山だと、街並も徹底的に昔風に整備して、映画のセットみたいにしてしまうけれど、ここはその点でもあいまいで、いいかげん……

えいこく屋さんみたいなお店があるかと思うと、隣が風呂桶屋さんだったりコロッケの店だったり……少しいくと旅館があったり、フツーの家だったりお屋敷だったりして、そのあいまいさがまたなんともいい感じ。電信柱もまだしっかり建っていて、「街並つくりすぎ」の緊張感も全然ありませんし。


こんなオシャレなお店↓も、それとなくあったりします。ここは、岐阜の陶磁器メーカーのアンテナショップみたいなところで、白と黒の無地のスタイリッシュな食器類を販売しているんですが、「高級!」って感じでもなくて、お値段は意外にリーズナブル。このあたり(尾張から美濃)は、陶磁器が地場産業なんですね。


かと思えば、もろにインド風のこんなお店↓も。ここは、「ビーナトレーディング」という名前で、1階がアジアンテイストの雑貨を中心に、服なんかも売ってます。2階に上がると、インドから中近東にかけての楽器がずらり。ご主人も、かなりソレっぽい?方です。たぶん、元はフラワーチルドレン世代か……


お店の名前になってる「veena」とはなんぞや? ということですが、これは、インドの楽器の名前で、ちょっとシタールに似ています。この二つは親戚みたいですが、よくわかりません。リュートやギターとも関連があるみたいなのですが……ツィターにも関連しているみたいで、もしかしたらピアノにもつながるのかな?

このお店もそうなんですが、みんな、フツーの民家をちょっと改装しただけでやってます。家賃が安くないと、こういうお店はやっていけないので……名古屋には、ほかに、大須とか円頓寺(えんどうじ)とか、こんな感じの街並がちょくちょくあって、最近、けっこう人が集まるようになってきています。

私は、やっぱり「街の酵母」というものを感じるんですが(この件については、前にも描きました。リンク)……街並に、なんらかの種類の「酵母」が醸成されていくと、だんだん全体の性格が立ち現われてきて、そこが好きな人たちが集まるようになる……人工なんだけど、あるていど自然。この感じがいい。

そこで、ヘンに意識が高まってしまうと、高山や倉敷みたいな、映画のセットのような街並になってしまうんだけど、そこまでいくとかえって緊張感が出てきて、リラックスできない。観光客とかの対象になってなくて、地元や近隣の人が楽しく、ゆっくりと醸成させていく、こういう街並が、結局いちばんいいのかもしれません……

久しぶりに……金縛りは、昔、よくなりました。10代後半から20代がいちばん多かったかな。寝ていると、息が苦しくなって、起きようとするんだけど起きられない。起きれば息ができる……そう思って必死に起きようとしても、起きられない。

これ、なんでしょうね。疲れているときに、よく起こるような気もしますが……ともかく、なってしまうと絶対に……といっていいほど起きられない。で、もがくこと数分(もおもえる)、突然ハッと起きられる。で、息も回復します。

でも、これもよくあったんですが、起きてホッとする。でもなんだかヘンだな……と。息が、ぜんぜんラクになってない。ん?これはもしかして?と思うと、やっぱりそれはニセの起きであって、実はまだ起きてない。苦し~い。だれか~

ひどいときには、これが何度もくりかえされる。起きた!と思っても起きてない。で、起きて、こんどこそホントに起きた!と思っても苦しい。実は、まだ寝てる。こういうときは、起きるたびに場面がちがう。ちがう場所で、目覚める。

特徴として、自分がホントに寝ている場所では絶対に起きない。一人で暮らしはじめても、まだ親の家にいたころの自分の部屋で起きる。起きても苦しいので、親を呼びにいく。親の部屋をあけて、「苦しい~」と言ってるところで……

ハッと気がつくと、まだ寝てる。金縛りになったまま……こういう「複合金縛り」をなんども体験しました。最後に、ホントに起きられたときは、もう誇張じゃなく「生き返ったぞ~」と叫びたい気分。

昨日の金縛りも、このコンプレックスタイプでした。ただ、昨日の金縛りにはちょっとばかり不気味な味付けがあって……苦しい、苦しいといって、ハッと起きあがったものの、なんかヘンだ……で、足元を見ると……

なんとそこに「サタン」が……姿かたちははっきり形容できないんですが、「サタンだ!」と思った。うわー、サタンがいるということは、この「起き」はやっぱりニセか……その瞬間、前に倍する苦しみがどっと……

これを、2、3回くりかえしたでしょうか。やっぱり、起きても自分が寝た場所じゃない。どうもこれは親の家らしい……うわー、もしかしたらこのまま起きられずにアウトになるんじゃないか……まあ、それもしゃあないか……

でも、結局、最後には起きられた。だからこの文章も書いてるワケなんですが、これはまず、まちがいなく現実でしょう。しっかりいろんなものも見えるし、いつも自分が使ってるPCだし……まあ、わかりませんが。

金縛りを調べてみると、「医学的には睡眠麻痺と呼ばれる、睡眠時の全身の脱力と意識の覚醒が同時に起こった状態。不規則な生活、寝不足、過労、時差ぼけやストレスなどから起こるとされる」(ウィキ)とありました。

まあ、そんなところが妥当だとは思いますが……一つ心配なのは、金縛りのまま死んでしまうということがないんだろうか……でも、これって、そのまま死んだ人は「金縛りで死にました」と言えないし……

なんとか蘇生した人は、「金縛りが解けた」としか思わないだろうし……金縛りで一旦死んで、医学的にも死亡が確認された後で金縛りが解けて「生き返った」人がいないとダメだ……そんな人、いるのかな?

ABくんの「戦後70年談話」。全文を読んでみましたが、読後感想として、「よくできてるなあ……」と。上のマンガは、全文を読む前に、テレビとかの報道だけで描いたものですが、全文を読んでいたら、おそらくこのマンガは描けなかったと思います。「文言をもてあそぶ」……テレビ画面の印象は、まさにそうだった。でも、文章になったものを読むと、かなり印象がちがう。なるほど……彼は、こういうふうに考えていたんだ……これは、けっこう正直なABくんの「思い」を、一国の総理大臣の立場として語った……そういうふうに見るのが正解ではないかと感じました。

これはまた、自民党の多くの人々、そして、もしかしたら、日本の保守層の多くの人々の思いなのかもしれません。英語の力がない私には、英語訳が世界の人々の心に、どのように響くのかはわかりませんが、日本語原文が正確に英語に訳されているとしたら、共感を持つ人も多いのではないか……そういうふうにも感じました。これは、ホントによくできています。優秀なブレーンがいることはまちがいないでしょうが、ABくん自身の正直な思いも、かなりストレートにもりこんである。これは、もう、文言云々という次元を越えて、この文章そのものをいかに受けとめるかという……

そういうレベルで考えないと、対処を誤るんじゃないか……そう感じました。マスコミや、評論家、大学の先生たちの力量が問われるところですね。この文章を正確に理解して、批判を加えるとなると、その当人もかなり勉強をしなければならないでしょう。「未来志向」とABくんは語っていますが、ABくん自身が思っているのとはかなり違う場所で、「未来志向」にならざるをえなくなっているなあ……そう感じます。そういう意味で、彼が、おそらく心血を注いでつくったこの文章は、村山談話、小泉談話と同等のマイルストーンになっている。そう思います。

ものごとは、見る側の位置によって、見え方がまったく変わる。「歴史」もそうで、こういう側から見れば、こう見えるのか……それはとてもよくわかりました。日本が右傾化していると言われますが、明治の産業遺産とかばんばん世界遺産にしちゃってる今の状況、大河ドラマのでき具合なんかを見ても、それは如実にわかります。そこまで、過去の自分たちの祖先が「すばらしかった!」と思いたいのか……逆にいえば、過去の祖先たちの「あやまり」を指摘するとすぐに「自虐スイッチ」が入ってしまう……しかし、今回のABくんの談話は、すでにそこは越えてますね。

でもやっぱり、ABくんの今回のこの談話の文章と、ひごろ彼がやっていることの間には、ものすごく大きな裂け目がある。それも同時に感じます。彼自身は、そのことを意識しているのだろうか……たぶんそこは意識していない。自分自身では、連続性があると思ってやっている。文章とは怖いもので、書けばなんでも書けてしまう。一見、スムーズに「実際に起きていること」とつながっているようでありながら、実は、なぜか無関係なことになってしまっている……そこが、やっぱりモンダイなんではないでしょうか……ともかくこの原文は、詳細に検討するに値すると感じました。

政治というもの、そして、人間の精神と、実際の具体的な行動……ここは、だれでも異常な乖離にみまわれるところだと思います。政治家の責任は、その、個人レベルの乖離が、ものすごくたくさんの人たちの運命、そして、もう今では、あらゆる生命を含む地球環境そのものに、多大な影響を与えかねないという、そこにある。「信念」でイラクに攻めこんだブッシュ氏は、おそらく膨大な人々のいのちと、多大な環境破壊の責任を負うことになってしまった……後の時点でみればあきらかに「愚行」とわかることも、その当時は多くの人々の「支持」を得て、やってしまう……

今、おそらく、ABくんはその道に歩み出そうとしているのだと思います。この「談話」は、マスコミや評論家がいくらがんばっても、原文を読んだ人には、おそらく心になにかしらの感銘が残ってしまうと思う。それをつき崩して、今、自分たちがどういう場所にまで追いこまれているのか……そこをきちんと指摘するのは、これはタイヘンな作業になるなあ……そう思います。「批判」の本当の力が試されるときでもある。表面的なものに引っかかって「批判」をくり広げるだけではダメで、この原文という「大岩」に匹敵する力勝負が必要……えらいことですね……