うそかげ……ガラス張りのビルに反射した太陽光線がつくるウソの影。

 

これは、名古屋市の中心部を南北に貫く久屋大通とよばれる幅100mの道路にできたうそかげです。

 

久屋大通は、別名「100m道路」とも呼ばれ、真ん中に広大な緑地帯があり、その両側に幅3車線の車道(一通)が設けられています。もちろん、広い歩道も付いています。

この写真は、中央の緑地帯から車道を眺めたもので、ここに、みごとなうそかげができていました。しかも、本当の太陽光によってできるホンかげと交差しています。

 

前にあげた写真では、階段の手すりのうそかげとホンかげが90°に交差していましたが、この写真では、街路樹によるうそかげとホンかげの交差が見られます。

 

道路中央の緑地帯のへりに植えられているのは常緑樹のクスなので、これによってできるホンかげは、広い面積をベタッと覆う、いわゆる「黒ベタ」状態。

これに対して、歩道の街路樹は落葉のケヤキなので、この時期には葉っぱはすべて落ち、幹と枝の織りなす綾が、緑地帯のクスのつくる黒ベタのホンかげのなかに薄青く流れている……なんともふしぎな光景です。

 

歩道の、ホンモノの太陽光線に照らされている部分は明るく輝き、ここにも本来は街路樹のケヤキのつくるうそかげが落ちているはずなのに、その姿はまったく見えません。ただ、ホンモノの太陽光線がつくるケヤキのホンかげは、くっきり見えています。

 

このように、うそかげというものは、ホンモノの太陽光線がつくる黒ベタのホンかげの中でしか存在できない、文字通りの日陰者……しかし、ホンかげの黒ベタを、この写真のケヤキの枝のように、美しく塗りわけてしまうくらいの力は持っています。

 

冬晴れの道に描かれたうそかげとホンかげの交錯……なんだけど、クルマも人も、なにも見なかったかのようにそれを踏んで行き交う……街の力によってできた希有な、美しい現象なのに、街はそれを味わうこともなく通りすぎる……今、宇宙のなかに、こんなにふしぎなものがここにあるのに……もったいないなあと、ちょっと思ってしまうのでした。

 

ガラス張りのビルに反射した太陽光がつくりだす偽の影……うそかげ。

 

これは、うそかげとホンかげ(ホンモノの影)が交錯する、珍しい?写真です。

名古屋市の中心部を南北に貫く「久屋大通」というめちゃ広い道があって(幅100m)、その中央部が公園になってるんですが、その公園にアプローチする階段にできてました。

 

この通りの両側は、ガラス張りのビルが多いんですが、そういうビルに反射してできる階段の手すりのうそかげと、反対側の手すりを透過してできるホンかげが、きれいに90°に交差しています……といってもわかりにくい?ので、もうちょっと全体像をお見せするとこんな感じ。

 

 

画面の右側の手すりに当たっているのはホンモノの太陽光線なので、明るく輝いています。

これに対して、左側の手すりに当たっているのは、ビルのガラスに反射したウソの太陽光線なので、なんとなく光にかげりがある。

ところが……

ややこしいことに、右側の手すりを透過しているのは、ビルに反射したウソの太陽光線なので、これによってできる手すりの影は、うそかげ。ちょっと青っぽい、弱々しい影です。

で、左側の手すりを透過しているのが、ホンモノの太陽光線なので、これによってできる影はホンかげ。

いずれの影も、画面の手前から奥にむかってできています。

 

……わかりやすくしようと思って説明しはじめると、ますますわかりにくくなる……

ということで、まあ、なんとなくいい感じかな……と思っていただければ……

 

 

うそかげだけだと、こんな感じになります(手前にうっすらホンかげも見えてますが)。

 

ビルのガラスって、なんとなく青いから、これによってできる光も影も青っぽくなる。

これも、うそかげがなんとなく夢の中のような感じになる一因かもしれません。

 

巨大なビルのほぼ全面をガラスで覆う技術は、やはりカーテンウォール工法の発達で、はじめて可能になったのでしょう。

こういう建築技法の開拓者は、バウハウスのミース・ファン・デル・ローエだときいたことがある。

彼が、超高層ビルにこの全面ガラス張りの技法を施したのは、戦後すぐのことで、とくにニューヨークのシーグラム・ビル(1958)が代表作だそうです。

 

鉄骨で頑丈な骨組みをつくっておいて、壁はその骨組みからカーテンのように垂らす。

これによって、壁面を全面ガラスにすることも可能となった。ガラスのカーテンですね。

結局、うそかげというものは、鉄とガラスを均質に、大量につくりだすことができる現代の技術をもって、はじめてこの世界に現われた……ともいえる。

 

大規模工業生産と、それを可能にする金融……

発電と流通、交通インフラ、そして、労働者を管理して、最高の生産性を上げさせる技術……

どれをとってもオソロシイ、大地や根っこからかけはなれていく指向性……

そういうものの彼方に、この夢みたいなはかない「うそかげ」が生まれる……

 

人間って、ほんとにふしぎないきものだと思います。

 

うそかげ……偽影。

 

私の造った言葉です。

 

野外活動研究会の方々と、名古屋の街を歩いているとき、伏見の長者町付近で発見。歩道の自転車置場にポツンと一台、置かれていた自転車にできていた……

 

フツーの影のように見えますが、なぜか、どこかはかない。

この日は朝から冬晴の凍てついた空気で、ものの影もカキーンとはっきりできるはず。なのに、「影」が薄い……

 

この影、まともにお日さまがあたってできたものではなく、太陽光線がいったん、向いのビルの窓ガラスにあたって反射した反射光によるものなのです。ウソの光によってできたウソの影なので「うそかげ」。

 

私は、このうそかげがなぜか好きです。ホンモノの影のようにクッキリ際立つことなく、なぜか夢マボロシのごとくにはかない。全体が、まわりの光にとけこんでいるみたいで、その光の方もやっぱりはかない。なにか、世界のどこにもない、さだかではないものの気配が……

 

このうそかげは、たぶん大都会でないとちゃんと見られない。要するに、全面ガラス張りのかなり大きなビルがある街でないと、立派な?うそかげができません。この写真を撮ったのは、名古屋市の中心よりやや北にある「桜通」というかなり広い道ぞいなんですが、まあ、道幅が50mくらいはあるので、向いのビルにも日射しがたっぷり降りそそぎ、その反射光も余裕をもってこっちがわに射してきて、こういうキレイなうそかげができる……という寸法です。

 

雲が冬の空をよぎり、さっと太陽を隠すと、このうそかげもすーっと消えて、まわりはなにごともなかったかのように……自転車が一つ、ポツリと取り残される。しばらく見ていると、また太陽が現われて、夢のようにこのうそかげが出現……自分にも反射光は射しているはずなのに、弱々しくてほとんど感じない。ただ、うそかげがうそのように現われるのに見入るだけ……

 

街は、ふしぎです。ふしぎなものを生み、静かに美しく、ただそこにある……千年、二千年の文明の果てにこういう半分夢みたいなものを生んでしまう人の営みの流れ……いろいろ、まだまだ、よくわからないものはあるんですね。

ということで、最後にもう一枚、うそかげの自転車を……