栃木県の白沢(しらさわ)に住んでいたころ、近所のヤブ医者のせいで1歳と3か月の息子を亡(な)くしました。

髄膜炎(ずいまくえん)でした。町医者である東京の妻の実家(金町)に運んだときは既(すで)に手後(ておく)れで、その日のうちに大学病院に入院しましたが、翌朝亡くなってしまいました。

人前では気丈夫(きじょうぶ)に振る舞っていた空ちゃんでしたが、ある夜、あまりにもさみしく悲しくて(しゅ)にお願いしました。

(しゅ)よ、どうか、幸多(こうた)の所に連れていってください。」と……

その夜、夢の中で空を飛んで行きました。いつもより高く飛んでいます。

空は青空です。遠くに山々が見えます。雪山です。その中腹で小さい子供たちが数人遊んでいます。空ちゃんが「おや~……」と思ったら、その中の一人(ひとり)がこちらを振り向きました。

あっ!幸多だ!こうたぁっ―!

空ちゃんは夢中で彼を抱(だ)きしめて大泣きしました。もう言葉になりません。

夢の中で大泣きしたのはこれで2度目です。

……

このことからもわかるように、人間死んだら肉体はなくなるけど、肉体よりはるかに柔軟性(じゅうなんせい)に富む意識体で人間の魂(意識)は生き続けると空ちゃんは思っています。よって、私たち人間とはそういうものである可能性が非常に高いと思って、これからの生き方を考えていけば、その人なりにかなり意味のある人生を送れるのではないでしょうか?

 

(以下追記)

夢の中で大泣きした第1回目は、大学生のころですが、空ちゃんが仏教に関心を持ち始めて、創価学会の教義のベースになっている日蓮に疑念を持ったころでした。夢の中で後光に輝くお釈迦様が空ちゃんの前に現れ、空ちゃんは感動のあまり、お釈迦(しゃか)様にひれ伏して号泣(ごうきゅう)しました。22歳のころであったと思います。

 

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