最近はこういうことはしなくなりましたが、学生時代には、ある一点に目を凝(こ)らすと、視点の先の情景が変化して独自の光景が見えてくることがありました。

母が信仰(しんこう)していた日蓮(にちれん)系の小さな宗教団体の秋田市内の社(やしろ)で、その教祖(東京の舟山先生)が恐ろしい龍神(りゅうじん)の掛け軸(かけじく)のような絵に向かって読経(どきょう)しているのをじっと見つめていたら、その絵の中から、かわいい女の子が出てきて、空ちゃんに向かって笑顔を見せていました。

また、宗教団体GLAの教祖(高橋信次先生)の講演会(1976年1月、両国)に行ったときも、その先生の話をじっと聞いて見つめていたら、その後光と会場の独特な光が見えていました。

これは、会社に入ってからも、宇都宮工場の工場長が約800人の前での月1回の朝礼で、その姿を見つめていたら、口から激しい火を噴(ふ)いていました。もちろん、それはほかの人には見えなかったと思います。

また、30代そこそこのころに、会社での発表会があって、自分の信念みたいなものを数百名の前で発表しなければならなくなったときのことですが、発表しながら、そこの聴衆(ちょうしゅう)全体の精神状態の調和度のレベルが光となって一瞬(いっしゅん)で理解することができました。

こういうときは、通常の景色ではなくなります。

 

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     補足22話「龍神」

 

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