世界的な宗教に関して、現在の空ちゃんの思いを書きます。

まず、キリスト教に関してですが、モーゼやイエス・キリストが歴史上存在したという証明がなされておりませんし、キリスト教はそれ以前の宗教(ミトラ教など)と非常によく似ているといわれ、いわゆるパクリではないのか?という指摘(してき)がなされていますよね。

仏教に関しては、お釈迦(しゃか)様は世捨て人(よすてびと)でした。世捨て人の教えが、現代の人々の心の糧(かて)にどの程度なるかしら? 

特に大乗(だいじょう)仏教というお釈迦様の教えとは別物の物語を空ちゃんはとても信じることはできません。ましてや南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)と唱(とな)えたら救われるような教義は盲信(もうしん)に思えてしまうのです。

少しうがった見方をすると、鳩摩羅什(くまらじゅう)というインドの坊さんが、当時のプロの僧侶(そうりょ)に禁止されていた女性とのエッチをしてしまって、それで僧籍(そうせき)を剥奪(はくだつ)されて(=坊さんをクビになって)、恥ずかしくなって中国に逃げて、そこでお釈迦様の教えとは異なる戒律(かいりつ)に甘い大乗仏教(法華経など)を広めました。それを中国の天台大師(てんだいだいし)が重要視して、それを日本の最澄(さいちょう)という坊さんが重んじ、それにならったのが日蓮(にちれん)です。日蓮が南無妙法蓮華経と唱えたら諸天善神(しょてんぜんしん)が助けてくれるみたいなことを言いだしました。この流れをくむ教義が現在の日本の宗教団体には多いですよね。

鎌倉時代の庶民(しょみん)には、そんな形で仏教を広めるしか手がなかったのかもしれませんが、21世紀の現代にそんな迷信は不要だと思います。

イスラム教に関しては、まず、その開祖のムハンマドに大いなる疑義(ぎぎ)があります。それは臨終(りんじゅう)の床(とこ)で死ぬのがイヤだ!イヤだ!とあばれたことです。奥さんにさんざん悪態(あくたい)をついて醜態(しゅうたい)をさらしています。これは死を超越(ちょうえつ)した覚者の姿ではありませんよね。むしろ生前の悪行(あくぎょう)、特に殺戮(さつりく)の報いが怖(こわ)くて地獄に落ちるのがイヤだ!と騒(さわ)いでいるように見えます。特にアラーという神様がキリスト教の旧約聖書の神(ヤハウェ)と同じで非常に残酷(ざんこく)で、空ちゃんには悪魔のような残忍(ざんにん)なものに思えます。

以上から推察(すいさつ)されるように、宗教を信じない人間ほど宗教の矛盾(むじゅん)で苦しむこともなければ、多額のお布施(ふせ)などで経済的に追いつめられることもないので、比較的幸せに生きていけると思います。人間は常識的な生き方をするのが一番幸せだと空ちゃんは思っています。それは多くの日本人的な生き方だと思います。だから、各宗教の魅力(みりょく)的な面だけを活用させていただいて、あまり深入りしないことが肝要(かんよう)なのではないかしら?

神社に初詣(はつもうで)して、結婚式は教会などであげて、クリスマスを楽しんで、葬式(そうしき)はお寺でも全然かまわないと思うしね。

空ちゃんの葬式は無宗教の家族葬でねと遺言書(ゆいごんしょ)のようなものに書いてあります。お墓はつくりません。骨は空でも海でも山にでも許可された所に捨ててもらえたらいいです。

 

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