お釈迦様のお話しの伝え手 渋谷規子です。

 

「めんどくさい」

この言葉よく使っていませんか?

 

私はよく使っていました

 

最近、できるだけこの言葉を

使わないようにしています

 

言葉にしないだけでなく

心でも思わないように心がけています。

 

と言っても、何度も言いそうになって

「めんどっ  くさくない!」

「ありがたいこと!」

と変換しています (⁎˃ᴗ˂)  

 

そうしているからなのか

他人が言っている「めんどくさい」が

とてもよく聞こえます。

 

きっと私も今まで同じように

たくさん使っていたんでしょうねー ( ̄▽ ̄;) 

 

 

同じ会社でこのめんどくさいを

よーく使う人がいます

 

面倒くさい時はもちろんなんですが、

自分が聞きたくない話や言葉を

聞いたあとに必ずと言っていいほど

小さな声で「めんどくさっ」って言うんです。

 

 

何かあった時に、つい使いたくなるこの言葉

 

「めんどくさい」

仏教では、この言葉が浮かんだ時点で

悪業です

悪の心を仏教的に言い換えると

めんどくさいの心

と学びました。

 

 

よく考えてみると、

「めんどくさい」と言っていることは

やろうと思えばできること

 

本当にできないこと、無理な時には

「無理! できない」と言います。

 

 

目の前にやればできることがあるのに、

めんどくさいと思ってそれをしない

 

そんな話を聞きたくない

そんな態度を見たくないなら

その場を離れるなり言えばいいのに

それをしない

 

できることはすればいい

 

それがどなたかのお役に立てるならなおさら

自分が施せることがあれば

それをすればいい

 

それをついつい、今は忙しいから

予定が決まっているから・・・

と予定や目の前のことを優先してしまって

横から突然きたことを遮断してしまう

 

自分の心の動きを感じたのに

気づかないふりをする

 

横から来たことが

今目の前のことになったのに

それを見ようとしない

 

それらは宇宙からのチャンスでありご縁

それをめんどくさいと思ってしまえば

そのチャンスを逃してしまう

 

自分が一瞬嫌だと思った心を

丁寧に見ずにその場に合わせてしまう

 

 

どれも自分を大切にしていない行為

 

 

めんどくさいと思わずに

常に自分のできることを、丁寧に見ていく

 

それが自分を大切にすること

そしてそれは

繋がっているすべてを大切にすること。

 

脱! 「めんどくさい」

 

 

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仏教とは人類最古の心理学であり

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