有る今を、大切に
朝、カーテンを開けると、昨日と同じような景色。いつもの空。いつもの一日の始まり。何も変わっていないように見えるのに、昨日とまったく同じ朝は、もう二度とやってこない。そう思うと、何気なく迎えていた今日が、急に愛おしく感じられる。……と言いながら、「あと5分だけ」と布団と仲良しになっていたい私です(笑)。今まで何度も学んできた言葉仏教の根幹ともいう言葉『諸行無常』この言葉の見方が少し変わりました。諸行無常と聞くと、すべてのものは移り変わり、いつかは失われていく。これが世の真理。どんなに大切にしていても、身体は少しずつ老いていく。ずっと一緒にいられると思っていた人とも、いつか別れの日がくる。楽しい時間も、幸せな日々も、同じ形のままでは続かない。それがこの世の真理だからと思っていました。しかし、違う見方もあると知りました。諸行無常とは、失うことを悲しむ教え、それを仕方ないと思うことではなく、今ここにあるものを、ちゃんと見つけるための教えでもあると知りました。なくなってしまうからこそ、なくなっていない「今」が、こんなにも尊い。会いたい人に会える。声を聞きたい人に電話ができる。「おはよう」と言えば、「おはよう」と返してくれる人がいる。自分の足で歩き、自分の手でご飯を食べ、見たいものを目で見ることができる。そんなことを、つい「いつものこと」と思ってしまう。でも、「いつものこと」は、当たり前だから続いているのではありません。たくさんのご縁と、私の身体や細胞の働きと、誰かの思いやりに支えられて、今日も奇跡のように続いている。ところが私ときたら、腰が痛くなれば腰をさすり、肩が凝れば肩をいたわるのに、何も言わずに動いてくれている手や足には、お礼のひとつも言っていませんでした。痛くなったところだけを手をかけて、元気なところはほったらかし。なんとも都合のよい人間です(笑)。人との関係も、同じなのかもしれません。離れてから、「あの人は大切な人だった」と気づく。声が聞けなくなってから、「もっと話しておけばよかった」と思う。会えなくなってから、「また今度」を何度も先延ばしにしていたことを悔やむ。でも、諸行無常を「いつかなくなる」と捉えるだけではなく、「今は、まだここにある」という気持ちで受け取れたなら、今日の過ごし方が少し変わる気がします。伝えたい「ありがとう」は、今日伝えておく。会いたい人には、会えるうちに会いに行く。一緒に食べる何気ない食事も、何気ない家族との会話、ちょっと面倒と思う仕事での会話も「いつか思い出になる今日」だと思えば、少し愛おしく見えてくる。幸せとは、特別な出来事が起きることではなく、すでにあるものに気づくことなのかもしれない。朝、目が覚めたこと。温かいお茶がおいしいこと。誰かを思い浮かべられること。今日も心臓が、こちらの許可も取らずに動いてくれていること。幸せは遠くからやって来るのではなく、「今ここ」に、ずっといる。ただ私が、忙しそうな顔をしてその横を何度も通り過ぎていただけかもしれない。諸行無常。すべては移り変わり、同じままではいられない。だからこそ、今あるものを、今のうちに大切にする。今日交わした言葉も、一緒に笑った時間も、自分の足で歩いたこの一歩も、二度と同じ形では戻ってこない、たった一度の人生だから。「いつか大切にしよう」ではなく、大切にできる今、大切にする。そう思ったら、まずは毎日休まず働いてくれている身体に、「ありがとう」を伝えよう。と思ったものの、どこから始めよう?長年のほったらかしにしすぎているので、身体中から順番待ちの札を持った皆さんが押し寄せてきそう(笑)それでも今日、気づけたことが最初の一歩。なくなることを恐れるのではなく、それをあたり前と感じるのではなく、「有る今」に感謝をして、ひとつひとつ丁寧に受け取りながら生きていきたい。。。。 規子 (❁´ω`❁) 。。。この空と同じ空には二度と出会えない。そう思うと写真で撮るより目に焼きつけたいと思う。諸行無常の違う見方に気づけた光静先生のブログhttp://blog.takimotokousei.com/?day=20260820