うまくできなかった私だから
真解学を学んで8年になりました。「どうして真解鑑定士になろうと思ったんですか?」もし、そう聞かれたら。以前の私なら、「人のお役に立ちたいからです」と、ちょっとカッコよく答えようとしたかもしれません。それも間違いではないんです。でも、今ならもう少し正直に言えます。「苦しんでいる人を、笑顔にしたいから」なんだか立派なことを言っているようですが、私、けっこう失敗してきています。今までの人生を振り返ると、「あのとき、もっと違うことができたんじゃないかな」と思うことがいくつもあります。私自身、人生でたくさん迷い、失敗してきました。そのひとつが、息子の子育てです。「この子のため」「困らないように」「ちゃんと育ってほしい」そのときの私は一生懸命でした。でも今振り返ると、「あなたのため」と言いながら、自分の思いや価値観を息子に背負わせていたんだと思います。良かれと思って言った言葉。心配だから先回りしたこと。愛情だったはずなのに、息子には違う形で届いていたんだと今なら思います。子育てって、終わってから答え合わせが始まるんですね。しかも、「あれ? 私の答え、だいぶ違ってない?」みたいな(笑)。母との関係もそうでした。亡くなってから気づくことの多いこと。息子もそう、母もそう、近いからこそ、ぶつかる。人のことなら、「まあまあ、そんなに怒らなくても」なんて言えるのに、自分のことになると、まあまあでは済まない(笑)。私はずっと、「どうしてわかってくれないの?」と思っていたのかもしれません。でも、学びを重ねる中で気づいたんです。息子をどうしたらいいんだろう。母をどうしたらいいんだろう。ずっと相手の中に答えを探していました。けれど、本当に見なければならなかったのは、私自身でした。私が何を怖がり、何を求め、何を「こうあるべき」と思っていたのか。そこに気づくと、過去の出来事の見え方まで少しずつ変わってきました。だから私は今、「真解学」を学んでいます。真解学は、その人の本質や人生の流れを読み解きながら、目の前に起きていることを見つめていく学びです。私にとってそれは、未来を当てるためのものではなく、自分を知り、自分の人生をもう一度見つめ直すためのもの。同じ出来事でも、捉え方が変われば、意味が変わります。もちろん、つらかった出来事を無理やり「よかったこと」にする必要はありません。悲しかったものは悲しかった。苦しかったものは苦しかった。でも、そこから何を受け取り、これからどう生きるのかは、今の自分が選ぶことができる。私は、そこに希望があると思っています。もし私が、子育てにも悩まず、母との関係にも悩まず、人間関係も何もかもうまくいっていたら、たぶん今の私はいなかった。というより、そんな私だったら、ちょっと話しかけにくい(笑)。うまくできなかったこと。傷ついたこと。後悔したこと。できることなら、なかったことにしたいと思ったこともたくさんあります。でも今は、少し違う見方ができるようになりました。傷あとがあるからこそ、同じ場所で痛みを抱えている人に、「その痛み、少しわかるよ」と言えるかもしれない。そして、自分が迷った道を知っているからこそ、そこで立ち止まっている誰かに、「私もここで迷ったよ」と、そっと伝えることができる。そう思うと、私の失敗も、後悔も、涙も、ただ消したい過去ではなく、いつか誰かが前へ進むための小さな道しるべになるかもしれない。だから私は、答えを渡す鑑定士ではなく、「あ……そういうことだったのか」と、その人の表情が少し穏やかになり、最後にふっと笑顔になってくれたら。まだまだ学びの途中。人の人生を読み解く勉強をしながら、「一番読み解かなあかんの、私ちゃう?」と思う日もあります(笑)。でも、それも含めて私です。私自身も迷い、気づき、少しずつ変わりながら、いつか誰かに、「大丈夫。人生は、ここからまた始められるよ」そう伝えられる真解鑑定士になりたいと思っています。。。。 規子 (❁´ω`❁) 。。。最初はどんな作品になるかもわからずただただタングルを描いていく。そうして少し俯瞰にして見てみるとつながりが見えてくる。ただただ紙にペンを走らせる瞑想の時間そこには、「こうでなければいけない」「こう見せないといけない」そんな思いはなにもない。そうやって心が整った時に自分の心も見えてくる。本当の自分の思いを知る。これも私にとって大切な時間。