お釈迦様のお話の伝え手 渋谷規子です。

 

心のお守り言葉が一つ増えました。

 

一寸座一寸仏

(いっすんざすればいっすんほとけ)

 

これは、

わずかでも善い行いをすれば

その行いをしている間は

仏として生きた

と言う意味の禅の言葉です。

 

人生折り返しを過ぎ

今までの人生を振り返ると

 

バカなことをした

取返しのつかないことをした

言わなくてもいいことを言ってしまった…

 

愚かなことをしたと思うことは

たくさんあります。

 

だから今さら

少しぐらい善いことをしても

何も変わらないし…

と思いがちですが

 

そんなことはない!

と仏教では教えます。

 

一寸でも とは

わずかでも という意味です。

 

わずかでもいいんです。

 

ひとつでもいいからゴミを拾う

ひとつでもいいから反省をする

ひとつでもいいから我慢をする

 

それは心からの行動でなくても

いいんです。

 

ほんの気まぐれで

今日はゴミを拾ってみる

自分から挨拶してみる

自分から謝ってみる

 

この気まぐれの一寸が

一年、十年、一生となり、

癖になり、それが普通となっていく

 

この一瞬の今をどう生きたのか…

それで私たちは更新されていく

 

私のまわりには

師匠、法友、友人…

すごいなーと思う人がたくさんいます。

本を読んで気づくことも多いです。

 

あの人のあそこがすごいなーと思ったら

私にはできないと思わずに

真似てみる。

気づいたら行動に移してみる

 

「学ぶ」という言葉の語源は「真似ぶ」

 

何を真似ぶかで

その先の人生は変わるんです!

 

私も昨日行動してみました。

梅田でお買い物をして

たくさん歩いて足は棒状態

両手いっぱいの荷物を抱えて

電車に乗ってすぐに座りました。

 

そうすると斜め前に

ご年配の方が手すりを持って

立たれているのが目に入り

 

この言葉を思い出して

「どうぞ座ってください」と

声をかけました。

 

心の中では、座っていたい

と言っていました 笑

 

それでもこの一瞬、

たった10秒ぐらいの時間

私は仏として生きたということ。

 

心のお守り言葉

一寸座一寸仏

 

いつからでも変わることはできる

最初は気まぐれでもいいから

善いことをやってみる

 

その一寸の積み重ねが大切

それが癖になれば

それが普通となる。

 

この言葉を忘れないように

続けてみよう。

 

 

逆視道とは、心のお守り、人生のお守りになる学びであり

東洋思想をベースとした実践行動学です。

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