断片を投げつけろ | On the White Line.

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リハビリ中WWA作成者の日記。映像は引退。

あまちゃん、熱かったよねえ。


9月で放送を終了したNHKの朝ドラの「あまちゃん」。
朝の用意をしながら見るのが日課だったのですが(途中からその時間さえ起きれなくなるのですが)、
カーネーション以来、梅ちゃん先生、純と愛がピンとこなかった自分にとって、
あまちゃんは大ヒットで、1話からほとんど見ていたので今週は一話一話に感涙を禁じえませんでした。


見てない人にちょっとしたあらすじ。
お話の始まりは2007年。
その20年前に岩手県北三陸市の実家からアイドルをめざし東京に出て行った天野春子は、
娘のアキ(当時高校2年生)を連れて20年ぶりに返ってきたところから話ははじまります。

春子の母、夏は北三陸袖が浜の海女さんで、それを見たアキは一目ぼれ。
自分も海女さんをやりたいと言い出します。

しかし20年も音信不通状態の親子の縁は険悪。それに加えすれ違いや誤解がいくつも絡み合っていました。
しかも春子の夫の正宗も何も知らせずに離婚届だけ置いて出てったっていうんだからさあ大変・・・
春子はアイドルをめざし失敗して負けて帰ってきたのだからそのプライドのため葛藤します。

とりあえず、アキは海女さんの見習いとして夏休みの間だけという約束だったはずが、いつの間にやら居ついてしまいます。
その間に、東京では冴えず地味だったアキがみるみるうちに輝いてきて、それに周りの人間が影響されはじめます。
アキの海女としての活動、村おこし、親子のすれ違い、アキの初恋、大吉の春子への想い、
親友のニートの兄、春子の過去、死んだはずじいちゃん、謎のスカウトマン・・・などの事件を経て、
第一部のラストでは転校した高校の親友ユイとともに、
作中の映画の主題歌を歌う「潮騒のメモリーズ」という地元アイドルを結成するに至り、
二人はその成功から東京進出を狙ったのでした。


そして第二部は・・というと本当に長くなっちゃっていつまでたっても本文いくから端折るけど、
まあ、とにかく、面白いです。冗談抜きで。
それに主人公のアキちゃんの初期設定が、東京で冴えなくて地味で。というごく普通の高校生だったんですけど、
そういう子が北三陸のあの場所で自ら行動することで輝いてきて、
そしてその輝きで周りのひとが変わっていき、紆余曲折ありながらも自分の世界を変えていった。というところを見ると、
自分でもなんか世界を変えられるのかなあ。なんて、そんな希望を持てるような話です。


第一部は幸福成功一辺倒なんで、そんなスゲーサクセスストーリーあるわけねーじゃんって思いますけど、
第二部の東京編は、アイドルを目指すアキがとにかく不遇です。見てられないほど不遇です。
そこに春子の過去が関係して、アキが春子の子供だってことで何度も潰されます。そんな理不尽な!
ユイちゃんもユイちゃんで不幸が重なりすぎて東京に一度も出てこれないどころかグレちゃうし・・・
そこでは登場人物が挫折と過去と現実に縛られて大人も子供も葛藤する様が描かれていますが、
けれど、第三部でその不遇と震災を乗り越えて、登場人物全員が過去を乗り越えて笑顔で大団円を迎える、
そんな幸福と不幸の、成功と挫折の、過去と未来のアップダウンが、物語にリアリティを与えてくれます。

けど、ほんとは私、脚本書いてる宮藤官九郎が実は大嫌いなんですよ。下品なんですよ。
木更津キャッツアイとか勘弁してくれってレベルでドン引きですよ。
けど、やっぱ朝のNHKでその下品さがうまく中和されて(でもNHKでそれはダメだろ!ってのもあるけど)、とっても親しみやすいですし、
いやあ、本当にクドカンは、このドラマのキャラクターを愛しているんだなーって思います。
みんなラスト幸福にしてくれてるもん。見ててうれしいもん。


そこで登場するのは、作中の重要なキーとなる挿入歌「潮騒のメモリー」。
これ作詞がクドカンなんですが、歌詞が無茶苦茶なんです。笑えます。
「ジョニーに伝えて1000円返して」っていうフレーズから異様感を伺ってくれると幸いなんですが、
それをもっともらしく歌うから面白いんだけど、この歌詞を5分で考えたらしいんですね。

けど、ラスト、本当にこれをうまく絡めて終わりにしようとしているんです。これが物凄く見事なんです。
あまりにも見事すぎてだから5分で考えたのはウソだろう説があるんですが、
たぶん私は本当に5分(さすがに言い過ぎでしょうが)で書いたんだろうと思います。
だって、作中からクドカンのキャラクター愛というか、作品への愛が伝わってくるからです。



これ、自分の話なんですが。
話書いててなにも考えずに書いたものが、最後物凄い意味を持ち始め、

これが綺麗なラストを作ることが間々あります。


例を示せば、昔の話ですが、WWA目隠し鬼のOPとラスト部分。
OPは二人の戦士が魔王城の壁に穴ブチ抜いて待ち伏せするんですが、
ラスト、サーナイトがその穴つかって、魔王城乗っ取った奴を叩きに行くのですよ。
それがうまくOPと対照・符合して、俺ってすげええええええええってなったのですが、
その場面作るころには、OPのこととか壁ブチ抜いたことなんてすっかり忘れていて、
さて、ボスぶっ潰すためにどういう仕掛けやろうかとか、

魔王城間延びするなあなんかショートカットねえかなあ・・とか
真面目に考えてたところで、あれそういえば・・うおおおおおおおお!!!ってなったんですよ。


あとは、WWAだとLineシリーズ全般でよくそういうのあります

(ちなみにアレ、ストーリー練ってるようであんまり練ってないです)。
対角線でも不老不死でもあったような気がする。思い出せないだけで。
WWAよく作ってた時は、本当に何も考えず作っているんですよ。

ほんと後先考えないでバカかいなってレベル。

けれども、どんな適当な投げやりなストーリー展開にしても、本当にうまくまとまってるんですよね。
最近だと、脚本第一作目怪盗ミスターパーフェクトの冒頭とEDで出てきた宝石、
松谷博士の最初から最後までの無邪気な設定、
星の子のコーヒーのくだりも実に適当に投げかけてうまく回収できました。
あと今書いている小説で宇田川家について掘り下げるんですけど、そこでもなんとなくつけた名前が、
物凄く綺麗に対応していてふおおおおおおおおおってなりました。
まだネタバレになるから言えないけど、たぶんめっちゃ面白くなります。


あとは、まるでとってつけたようなピッタリのタイトルがあとで見つかるというケースもよくあります。
青の瞬間とかはまさにこれ。夜明けと日暮れに現れる最高に美しい青空であるブルーモーメント。
そして、夜明けを示す「彼は誰時」という古語。これを見つけた時は鳥肌が立ちました。
脚本3作目の三つ葉のクローバーも撮影の直前までタイトルが定まりませんでしたが、
ギリギリになって「四葉のクローバーを見つけるために・・」という名言をみつけ、
そして野草部という適当な設定も相まって採用しました。それに葉っぱはハートだしね。
あと、これには作中で攻殻機動隊の「I do」を使ったのですが、これが尺とピッタリで、そのうえ歌詞もぴったりだったので、
私って本当に天才なんじゃなかろうかと思いました。
あと、NG集でchicago Poodleの「Fly」「Is this love?」という昔から大好きな楽曲を使ったのですが、
これもまた作品にあうのね!歌詞なんてろくすっぽ覚えてないはずなのに!


作品に本気で向き合うと、作品に本気で入れ込むと、作品に本気で恋すると、こういう奇跡が起こるんです。
恐ろしいほどに、綺麗に符合する時があるんです。

こういうのって、書いてて楽しい!早く次が書きたい!というときに起こります。
ひたむきにこの作品を書いてて幸せだな、と思うときに起こります。
こういうとき比較的何もスジもなにも考えてません。その時の気分で話を進めます。
それなのに、上手く話はまとまります。
そしてそうやってまとまった話は、今までのカンからいって、完全に成功したと言い切れます。


それを操作しようと思っても、うまくいきません。
私は大学に入って2年半の間それを操作しようと思いましたが、無理でした。
奇跡は狙って自分の手では起こせないのです。
そしていつの間にか作品の中で起こっているのです。
知らぬ間になんかミスって混ぜた薬品がなんかの拍子にすごい化学反応を起こしているのです。


ちょっと前に書きました。「自分の心に残っている物事は、自分の心を示す断片だ。」と。
そして、今これを付け加えます。「自分の無意識下で作ったものこそ自分の心を示す断片だ」と。
この「無意識下」というのは自分的な語彙のなかで「心のままに」と置き換えられます。
そしたら「そりゃそうだろ!」とつっこまれるんでしょうけど、図太く続けますよ!
とにかく、何も考えず、心のままに書いた落書きでも、鼻歌でも、ちょっとした会話や行動に、
私たちは知らず知らずのうちに、自分はいつも、何かしら自分の心の断片をどこかに残しているのです。
そしてそれは未来に意味を投げかけるのです。いつかの未来に私たちに意味を教えてくれるのです。


ちなみに、その心のまま、というのは、全体ではなく一部です。
しかし全体への思いが強ければ強いほど、その一部に大きな意味を投げかけるのです。
そうやって私は物語はできていくものだと思います。


きっと、クドカンの心の赴くままに作った潮騒のメモリーもそんな感じだと私は思います。
それがあまちゃんという全体の物語に影響したのでしょう。
本人もその心の赴いた先がきっと大団円の感動のラストにつながるなんて予期していなかったんじゃないでしょうか。
けれど、クドカンの頭には、無意識下で作品への愛が働いていたから、無意識でそう言葉を紡いでいったのかもしれません。


いや、プロだから予期していたのかな?それとも全部計算?それがプロってやつなのかな?!
真偽のほどはアマチュアにはわかりませんが、きっとそうなのではないのかな、と、
あまちゃんながらに作品のことばかり考えている私はそう思いますし、
いつもどうやって私が話を書いているかというお話もいつかしたいと思ったので、いい触媒になったなーとか
そう思っている次第です。ちゃんちゃん。


何も考えていなくても、何も意味のないことなんてないのです。
掘り下げていけば、いくらでも意味を見出すことは可能なのです。
それに気づいていないだけ。もしくは目を背けているそれだけです。

きっと、その心の赴いたその意味をたどれば、きっと面白いものが見つかると思います。
最高の符合が見えるかもしれません。


そういうお話でしたおやすみなさい。