嫁さんと知り合ってから《タイランド》という国を認識した。
それまでは東南アジアの1国でしかなく、決して身近な国ではなかった(苦笑)
なので、タイという国と接したのは今から20年前の事。
まだ東京に住んでいた時の事だった。
その当時、行っていたタイの店は何軒かあったが、職安通りの東新宿にあった《タイチャルーン》と《ラムジャイ》は顔馴染みになっていた。
残念な事に、両店とも今は無い。
2007年位に入管の一斉取り締まりで軒並みタイレストランの従業員がオーバーステーで捕まり、タイレストランがだいぶ減った。
(タイ人自体が凄く減りましたね)
入れ替わりに韓国の飲食店が増えていく。丁度韓流ブーム第一波の延長時期だ。
ビルの地下にあったラムジャイは、兎に角クィッティオが美味しいレストラン。
もちろん他の料理も美味い。
タイ料理の美味い不味いはラムジャイを基準にしていた。
日本人の客はあまり居なくタイ人が殆ど。
オーナーが一度変わり、その後消滅してしまった。
代々木のタイフェスに出店した時、日本人客にクイッティオの味の作り方を教えるお手伝いをしたのが懐かしい。
タイチャルーンはカラオケ店とレストランが併設していて、もっぱら行っていたのはカラオケ店の方。
このお店があったから、俺はタイのカラオケを歌えるようになる。
ある意味、自分の原点とも言えるお店だ。
日本人の店長になってから通うようになったのだが、この人との出会いが無ければ今は無いと言っても過言ではない。
仕事帰りによると、丁度店長がまかない飯を食っていることが多く、味見をさせてもらっていた。
これで自分が食べられるタイ料理を憶える。
お客さんが来る前の暇な時間帯なので、タイロックを色々聞かせてもらった。
タイ語が出来ないけどカラオケ歌えたら面白いよね?って言ったら「やってみようよ!」となり、まずはTAXIを覚えるのだった。
この店長からは色々なことを本当に教わりました。
ここは日本人のお客さんも来ていて、知り合いが結構できたね(笑)
もちろんタイ人も。
TAXIを1曲憶えたらその後は割と簡単に憶えられ、LOSOを憶えまくった。
大久保駅近くのクンメー2も馴染みの店。
本店クンメーとのライセンスから独立をして、今はプラ・クンメーと名前を変えて今も営業している。
まだあるので想い出のっていうのとはちょっと違うかな?(笑)
タイ人男のスリヤーが店長だった頃に通っていて、スリヤーがタイに帰った後は千葉に引っ越したので年1で行くくらいに減った。
ここも料理は美味しく、ゲンパーがお気に入りだった。料理の盛り付けが綺麗なんですよ。
当時のコックさんが店長をやってます。
まぁ20年の間にはコロナ禍もあったし、色々変わりますわな。
あの頃知り合いになった人達は、今何しているんだろうな〜。