空いているピースがあるとすれば 自分で埋めていく それが人生 | しあわせのいと

しあわせのいと

膠原病、難病である強皮症であり、主症状は慢性偽性腸閉塞。
療養生活でも、闘病しない、難病を持っていても工夫次第で生き方は選べる。
病気の状況を記録 兼
心のことも書いていこうと思います。
よろしくお願いします



この前あさイチ

「子どもを持たない人生」というようなテーマだったんだけど


産婦人科の高尾美穂先生が

↑のようなお話をされていた。




空いているピースがあるとすれば

それを自分で埋めていくのが人生。




これで思い出したのが

コーチングを学んでいたときのこと。


コーチングなので心理学のことも学ぶんだけど

親子の愛着についても学んだ。


親子の愛着は人にとってとても重要。

だけど

じゃあ

親に虐待された子は?

親がいない子は?

どうするの?

っていうテーマがあって。


それは

ざっくりいうと

自分が自分の親という存在になるんだということ。




そんなことできるのか?

と当時は半信半疑で。




でもね

今は自分自身がそうなれてると思うときが時々あって

なれるんだなぁと感じてる。




私の親は

今考えたらだけど

母は祖母から愛情をかけられて育ってないのは

しっかり見てきていて

父は

話を聞いていると

そんなに問題ある育ち方はしてないけど

むしろ母よりも愛着障害‥なのか

とにかくだいぶ拗らせていて


という感じなので

親が子供に注ぐ愛情には乏しく

乏しいだけならまだしも‥

っていう環境で育った私は

親はいるけど‥な状態で。




じゃあ

そこが欠乏したまま

これが私ですって生きるのか。


私がこうなのは

育った環境が‥

って言い続けて生きるのか。




というと

私はそれは選ばなかった。




事実としてそれはあるから

自分を説明するのにこうですとは言っても。

ときどきとてもくすぶって

不安定な気持ちになったりしたとしても。




そういうわたしの中の空いてるピースがあるなら

どうしようか


だから

私はコーチングを勉強しはじめたし

自分と向き合おうと決意した部分もあると思う。




私はこうだからこういう人間です

と言い続けながら生きるのか

こうならどうするか。




その空いたピースを

自分が自分を親のように温かく見守る

そういう自分に


そうなろうとしたわけじゃないけど

いま結果

なれてるなあと思うことがあるから


自分でそのピースを埋める人生を

歩んで入るんだなぁと思った。




家のことでも外のことでも

何かしらあったときに

色んな気持ちになって収集つかなくなっても


そんな自分を

自分が一緒に整理して

あなたが望むのはこれだよね

ならこれはこうして

これはここまでにして

こうしたら

自分も納得できるし

相手とも今できるベストな間隔でいられるよね


みたいな




数年前までは

ただただ不安に襲われてるしかいられなかった

もしくは

とにかく打破できる何かがないかを

やみくもに探し回ってた


そういう自分とは変わっているんだなぁと

実感していたりする。




もちろん

何やってるんだろとか

やってもうたとか

そんなことは今だって全然あるけど


自分でできることはある程度限界はあるからね




空いているピースを嘆くだけとか

空いているピースを言い訳にするとか

なんなら

空いているピースを人を責めるアイテムにするとか


そんなふうにしなくても

そのピースを

自分でつくって行くことはできるよと


私は言いたい。




それは完ぺきなピースじゃなくていい。


ただ大事に育て続ければいい。


少ししんどいこともあるかもしれないけど

育ててる自分は

ぜったいに素敵な自分であることだけは

私は自信持って言えるなと

思うんだよね。


そして

それを分かち合える人も

絶対いるし。




ピース埋める人生にしようラブラブ