デスモイド通院後の話 | しあわせのいと

しあわせのいと

膠原病、難病である強皮症であり、主症状は慢性偽性腸閉塞。
療養生活でも、闘病しない、難病を持っていても工夫次第で生き方は選べる。
病気の状況を記録 兼
心のことも書いていこうと思います。
よろしくお願いします

次の日に訪看さんが来られた時

通院の内容を報告しました。



セカンドオピニオンはしないことになり

父も納得してくれたと。

手術はできないと言われてきたのに

手術のことを聞くから困ったこと。



訪看さんは3人いるから

誰にどこまで話したかはわからないけど

大きくなったらどうするの?

という質問に何度答えたかはわかりませんが

その日も聞かれました。

その度に

やるとしたら放射線

抗がん剤は私の病状では使えない

何れにしても効くとは限らない

手術は首だからできない

したとしても半分以上再発する病気

と説明してきました。



その日もそれを説明しました。



大概その話で理解してくれるか

話が終わるかするのですが



その日は

今の病院に行くことになった経緯を聞かれたり

なんか話が終わらなくて。



そして

その方は総合病院の耳鼻科に勤めていたことがあるらしく

首のしこりは取ったりしていたとのことで

取れないのかねぇ〜と

話されていました。



だから

言ってる通りこうだから・・・

と逐一説明したわけですが



疲れました真顔



どうにか取れたり治ったりと思ってくれたり

提案してくれる気持ちはありがたいのですが



治らない難病と言われる病気を持っている方は

こういう良くなるようにとか

治る方法がないかとか

辛くなる

という経験をされてきた方もいるんじゃないかと思います。



病気が治る方法が見つかっていない病気になっても

治って欲しいという気持ちは当然あり

それでも

治す方法がないのだから

この病気と付き合っていくしかない

一緒に生きるしかない

そうして生きていこう



そう思うまで

長い年月がかかります。

そう思えてからも

治って欲しいという気持ちが消えるわけではない

その間で揺れ動きながら

現実を受け止めて生きています。



治って欲しいという気持ち自体はありがたいです。



でも

説明をしても受け入れてもらえないのは

辛いです。



時間をかけて

やっとの事で受け入れられた年月を

踏みにじられた気持ちになったこともありました。



今回は

相手が看護師さん。



説明したら

どういう状況か理解してほしかったな。



できないという手術の話をしても

首のしこりを取ってたという話をされたり

でも大きくなったら・・・

とか



大きくなったら、の心配は

あってもどうしようもないのに

だから治療法もないし

下手に刺激を与えてもいけないし



何もすることができなくて

大きくなったらどうしよう

大きくなって神経を圧迫したら・・・

痛みが出たら

痛みが慢性になったら

それ以外にも

ここに書くこともためらわれることはあって

・・・



心配は尽きなくても

考えても仕方がない



疑問に答えているうちに

もう考えても仕方のない

明るくはない未来を

また掘り起こして怖くなる



親にも心配かけるから

調べたことは話さずにいる





せめて

看護師さんは

説明したら治らない病気のことは理解して欲しい。



出来ることなら

担当の患者の病気のことは

知ってて欲しい。



私から

何か資料でも提出したらいいのか。



また次回通院したら

またひととき経ってるから

そのたびに

いちいち大きくなったらどうするとか

また聞かれて説明しないといけないのか。



ほんと

訪問看護にしても

デイサービスとか福祉関係にしても

わかってくれる人とそうじゃない人の違いがあるよね。



病気だったり障害があると

病気や障害の話はもちろんするわけで

そのときに

広い意味で患者や利用者のことを理解していないと

支援すべき

看護師や福祉職の人が

当事者を傷つけることがある。



そういうのは

なるべくなくして欲しい

というのは贅沢な悩みだろうか。



まぁ

逆に

当事者による支援者への問題もあるし

これは永遠のテーマなのかもしれない。