私は常々、勉強会などで、
『人を触る作法』について
伝えていきたいと思っています。
特に作法というものを考え出したのは、
昨年の年末あたりからです。
それが最近ようやく頭の中で整理され始めたので、
少し書いてみようと思います。
作法と思いやりについて、
作法とは、自分に向かっているものです。
そして思いやりとは、相手に向かっているものです。
作法は、その場、人、空間、時間に対して、
それが良いもので続いていく形になるために、
自分を律し、整え、正し、
時には戒めるものだったりすると思います。
それに対し、思いやりとは、
サービス、奉仕、与える、差し出す、、、
相手のために何かをする、
相手側に向かっているものだと思うのです。
面白いのが、
差し出すとささげるの違い。
私の感覚でしかありませんが、
ささげるという言葉を使うと、
どう自分を差し出すか?という
自分側が少し含まれているように感じます。
自分をささげると言った場合、
やはり自分を適当にはささえげられないと思うからです。
ここで大切なのは、
思いやりは相手によって形や方法が変わるのに対し、
作法は常に自分を律する方向に向いているので、
常に自分に対して同じ問いになる、
つまり、普遍である!ということ、
思いやりは相手によって変わる。
度が過ぎれば、体を壊してしまう。
やりやすい相手、やりづらい相手が生まれてしまう。
作法は常に自分に問いかける形。
自分はそれをできているか?
自分は、今、整っているか?
それを問い続けるので、
相手によって変わることはなく、
不安定にならないということ、
そしてそれだけシンプルに考え込まれたものでしか、
作法として成立しないのだということです。
これまでやってきた勉強会の内容が、
この先、体を触るということが、
作法の質に達するまで、
考えて考え抜いていかなければならないという、
新たな入り口に、今、立っているのです。
そして、
その作法が一部の人しか使えない特別なものではなく、
家庭でもできる誰でも当たり前の物になるために。
どれだけ簡単でシンプルだけど、
意味のあるものにできるか?
これからまたしっかりと、考えて、
勉強会の皆と研鑽していこうと思うのです。
5月3日には、
大井町カイロにて、17時から勉強会があります。
頭から体全体を整えるをテーマに、
またこういう話ができたらと考えています。

