心がふんわり魅力がひらく
しあわせ体質カウンセラーゆっかです。
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私をみていると
癒されると書いてくれている。
読んで私も癒されました。
なんか泣けちゃった。
ただただ生きてるだけで
日常を送っているだけで
特別なことをしていなくても
それを見て癒される人がいる。
なにもしてない
付け足していない
ごくごく普通のありのままに
いることの中で
何かを受け取る人がいる。
それはこちらが
あげようと思ってあげられるものでもなく
役に立とうと思って役に立てるものでもなく
意図しようとしてなるものでもなく
生きてたら
生きてるだけで
何かを与えてる
何かをもらってる。
たくさんの人から。
知らないうちに。
何かができるとか
何かができないとか
まったく関係ない。
体感できたのは
心屋塾に来たから。
タイトルのお話。
私は娘に遠慮することがある。
特に思春期以降は。
小さい頃は
細かく言うことも多かったから
娘たちは遠慮なんてされてないと
思っているかもしれないけど。
25年くらい前
水疱瘡で包帯してる
どこまで踏み込んでいいのか
体調やタイミングを見計らって
こちらの意見を押し付けないように
でも伝えたいことは言いたい
でも本人が決めること
その両方の塩梅をみてる。
親は見守るしかできないし
子はやりたいことをやりたいんだろうし
ガンガン言い合うタイプでもないし
我慢しているつもりもないのだけどね。
このところ
少し偏っている気がしていた。
なぜかなと心を見ると
思い当たるのは
私の父が
過干渉で支配的な人で
心配の圧が強すぎて
苦しかったことに行き着く。
価値観を押し付けられるのが嫌
心配のふりしてコントロールしてくるのが嫌
理不尽なのが嫌で仕方なかった。
長女で女の子一人だったから
当たりがきつくて大変だった。
だから私が娘に対して過剰に心配すると
こんなことがよぎる。
親に心配させたくなくて
娘は本音を言わなくなるのではないか
(私みたいに)
親が心配しすぎると
信用されてないと受け取るのではないか
(私みたいに)
親が心配しすぎると
否定された気になったり不安がるのではないか
(私みたいに)
心配しすぎると
娘にうざがられ嫌われるのではないか
(私が父に思ったみたいに)
”自分が感じたのと同じように娘も感じるのではないか”
と思っている節があるの。
思い込みだよね。
過去の幻を見ている。
そうかもしれないし
そうでないかもしれない。
当たり前のことながら
娘は私ではないわけで
感じ方も育った環境も違う。
私にとって「心配」は
どちらかというとよくない分類に
今まで入っていたけど
心配されたい時も
あるかもしれないわけで
fbでのやりとり
いかりんに言われて
それもそうかと遠慮をやめようと思いました。
やめてって言ってくれる
関係性はできてるはず。
・
・
・
あ!
私 「~しようか?」
娘 「いらない」
この会話、よくあるわ!
遠慮しているつもりで
もう遠慮してなかったのかもー(笑)
これからは
軽やかに心配していけそう^ ^
私の長女マインドも癒えていく・・・
東京に行った時。
楽しかったなー。
いかりんの著書
ゆっか ってこんな人⇒コチラ
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