こんばんは。
心屋塾認定講師・カウンセラーゆっかです。
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○○はどうしたいの?
○○がしたいと思うことならやればいいよ。
迷っている娘に
こんな言葉をかけてきました。
(主に思春期以降。小さい時はあれこれ言ってたわねw)
いくつかの選択肢があるとき
やりたいならやればいいし
やめたいならやめたらいい。
あなたの選択を尊重するよ。
そんなつもりで言うのだけど。
先日、娘に
「その感じがイヤだ」って言われた・・・
ちょっとびっくりした。
どうやら
その時の話題についての私の捉え方が
娘には重く感じたようで
うざかったみたい。(^^;)
どうしたいのかと聞かれても
どっちでもいいこともあるし
軽いノリで決めたっていいわけだし。
押しの強い周囲に押されて流されて
娘の本意でないことになっていくのは
いやだなあという私の想いがあるから
念押し的に言いたくなるところもあって。
流されていい感じになる場合だってあるだろうにね。
招いた結果がイヤならやり直せばいいんだしね。
そう、
「私が」 イヤだったんですね。
娘に失敗してほしくないんです。
傷つくなら最小限がいいんです。
彼女の心の声を大事にしてほしいんです。
これは親心とも言えるけれど
私だけの願いや考え・価値観でもある。
「どうしたいの?好きに選んでいいよ」は
私が親からかけてほしかった言葉でもあるんだよね。
それでいて、
「これはどう?あれはどう?」と
私の希望もちゃっかり言ってたりしてね。
どっちやねん 笑
それ以外を否定してるつもりはなかったし
彼女が選んだことは受け入れてるつもりだけど、、
よさげに包んだ言葉の中に
私の不安や願望を感じたのかもしれないな。
娘にしたら、知らんがな、だわね。(*゚ー゚)ゞ
私の「どうしたいの?」という言葉にイラッとした娘。
彼女の中の何かが反応したのかもしれない。
それは
いつも同じことを聞かないでよって思ったのか
迷ってるのにうるさいなーって思ったのか、
ちゃんと選びなさいよと覚悟を問われているように感じたのか
この想像と全然違うのか、わかんないけどね。
うん、直接聞いてません 笑
思うのは
お互いにただ化学反応しあってる。
同じ言葉を投げかけても
いいように取るか悪いように取るか
スルーするか
相手の状態次第だし
相手が選ぶこと。
世界をどう見るかを決めるのは本人自身。
一見よくなさそうに見えることでも
何かに気づいたり
何かの布石になったり
影響を与えあって心の糧にしている。
だからね
どっちが悪いってこともないし
どっちが合ってるってこともない。
どっちもあり。
で、私の中にある
用心深さや偏見や
守りたい気持ちや
任せたい気持ちや
母と娘の温度差や
そんなのに気づいたら
ああ、あるんだねって
愛おしんで抱きしめておしまい。
次からどうするのかといったら
娘も私もみんなも
受け取りたいことを受け取って生きていくし
気づく時がきたら変わっていくし
どう転んでも大丈夫なんだから
その前提に立ち戻って
出来事をジャッジして悩むより
毎回、リセットしていくのだ。
出来ない時もあるあるだけどねん。
どんな自分でもマル。オッケー。
それなら何をする?
それなら何をやめる?
自分が自分にしてあげられることは
何だろうね。
些細な事から叶えよう。
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