見えているのは一部分。 | それでも生きていくために。

それでも生きていくために。

はじめて授かった赤ちゃんと、21週に中期中絶でお別れしました。
心の中を整理して前を向くために、書く場所を作りました。

死産を経験した身からすると、お腹の大きい女性や赤ちゃんを抱いて歩いている人を見ると反射的に羨ましく感じてしまう。


だけど確率的にいえば、いま妊娠している人の中にも、街で見かけるたくさんの赤ちゃんたちの中にも、私たちが出産を諦めたような異常を持っている子もいるんだろう。

その親にしてみれば、妊娠中に異常がわかってその先どうするか選択肢を持つことができた私たちに対して、色々思うところがあるかもしれない。


それに、赤ちゃんを抱いて歩いている人の中には、なかなか妊娠せずに不妊治療を何年も続けてようやく妊娠・出産に至った人もいるだろうし、何度も流産や死産を経験して、ようやく無事に出産できたという人もいるんだろう。


見えているのは表面だけで、その裏にどんな経緯や思いがあるかなんて傍目にはわからない。

今まで自分がいかに頭を使わず目に見えるものに反応してしまっていたかに気づく。

そして、私だって周りから見れば幸せいっぱいの人生を送っているように見えるのかもしれないと思う。

自分の今いる環境は、恵まれているほうだと思う。

それを知っていながらも、赤ちゃんを失ったことにだけフォーカスして、喪失感・絶望感でいっぱいになるのはずるいような気もする。

客観的、総合的に見ないといけない。自分の人生に希望があることもちゃんと認めないといけない。


見えるものだけを見て人を羨んだりないものねだりをするのはやめる。自分だけの幸せと絶望がある、同じように、人には人の幸せと絶望がある。