お別れを経験して。

お別れを経験して。

はじめて授かった赤ちゃんと、21週に中期中絶でお別れしました。
心の中を整理して前を向くために、書く場所を作りました。


そんな日々を過ごして、

先日無事に出産しました。


 

産声を聞いた時は涙が止まらなかった。

生きて、泣いている我が子の姿。



前回のお産は先生ひとりと助産師さんひとり、

取り上げられた瞬間もとても静かで、

こわくて申し訳なくて目を閉じて何も見ないようにしていた。


今回は夫に立ち会ってもらうことができたし、

産科の先生やたくさんの助産師さんたち、小児科の先生もいて、赤ちゃんの大きな産声を聞いて、その姿を見ることができた。

折れずに頑張ってきて報われた、というか、

今日まで不安だったけどよく頑張ったな私、とは思えたかな。



まだ産後あまり時間が経っておらず身体も回復していないし頻回授乳で睡眠不足、

高熱が出たり、マタニティブルーになり毎日号泣したり、産んでみてはじめて出産・育児ってこんなに大変なんだと知った。



でも我が子は本当に本当に本当に可愛いです。

これから私の人生にはこの子がいてくれるんだと思うと、幸せな気持ちと共に重大な責任を感じます。




昨年、同じような経験をした方々が集まる会に参加させてもらって、

そのときその会を主催されている助産師さんから

「こういう経験をしても何人もお子さんを産む人をたくさん見てきたから、あなたもきっと大丈夫」というようなことを言われたのがずっと胸に残ってる。


あのときの助産師さんに、私も元気な赤ちゃんを産めましたって、すごく励まされたって、伝えたいなあ。



中期エコーの結果、

特に気になる所見なし。


心底ほっとして嬉しくて涙がでた。


ここから先は私にとって未経験。


もう何があってもお腹の子を産むんだなと、後戻りはできないんだなとも感じた。



その後も、

私の妊娠中の過ごし方のせいでこの子に何かあったらどうしようとか

胎動が弱いことに気が付かなくてそのせいでこの子に何か起きていることを見逃したらどうしようとか

無事に産まれてきてくれるか心配が尽きなかった。


妊娠して出産する、それが当たり前じゃないことを身をもって知ってるから。



緊張しながら受けた12週の精密エコーの結果は問題なし。


夫と二人、よかったねよかったねと言い合った。




その後は19週頃の中期エコーを待った。

前回お別れするかどうか決断を迫られたのがこの頃。


中期エコーまでの期間は本当に長く感じたな。



ようやく迎えた中期エコー当日。

待合室でエコーを待つ間、夫の手を握り神様に祈った。


私がとても緊張していたので、夫はその緊張を和らげようと、お昼ご飯何食べようか?と話題を振ってくれたけど、私は食欲なんてまったくなくて、夫の気遣いにも気が付かず、

お腹空いてない!と冷たく返してしまったのを覚えてる。


久しぶりにブログを書きます。




昨年の死産から約半年後、また新たな命を授かったことがわかりました。


30代後半という自分の年齢を考えれば、一度でも妊娠できたことが奇跡のような出来事だと私は思っていて、だからもうこの先我が子に会えることは期待していなかった。



今回の妊娠がわかったとき、信じられないという気持ち、前回の妊娠の経験を思い出して不安な気持ちが大きかった。

もちろん嬉しい気持ちや、今回は大丈夫だと信じたい気持ちも大きくてとても複雑だった。




前回の妊娠時、最初に異常を告げられたのは12週頃の精密エコー。


結局、異常の原因が特定できなかったことから、同じことを繰り返す確率はわからないけど、

仮に夫婦の組み合わせの問題だとすれば25%の確率で同じことが起きると言われた。



今回の妊娠がわかったのが4週頃。

そこからまずは12週の精密エコーまでの間、不安な気持ちが消えなかった。

私の働く会社では、社内情報発信の取り組みがそこそこ行われていて、

「◯◯部の◯◯さん紹介」的な発信が度々ある。

仕事内容やキャリアを紹介する目的のもので、それを見て若手が部署移動の参考にしたり、まあ社内交流を深める的な意味合いのものだと思う。


さほど興味はないけど時間のある時にさーっと見たりすると、必ずと言っていいほど子供の写真が一緒に載っている。

みんな我が子が可愛くて仕方ないんだな、と、冷ややかに見てしまう。

それぞれの家庭が幸せで、我が子が可愛くてみんなに見せたい気持ちがあるのは、微笑ましいこと、喜ばしいことと思うけど、

職場にそれを持ち込むのは、今の私からすれば少し配慮が足りないように感じてしまう。

でもそれは、こんな経験をしたからこそ分かったことで、私も普通に出産して育児していれば、同じように我が子の写真を社内に公開していたかもしれない。

誰のことも責めるつもりはないし、こういうことを感じる度に、きっと私がまだ経験していない、気づいていないことで、配慮が足りないことが多々あるんだろうとも思う。