名栗川で濁流だくだくだったのね。
きれいな川はいつでも見られるけど、こんな川はめったにお目にかかれない。
さて、こんな川で遊んだら間違いなく流される。
流された時はどうしたらいいか?
もがいたり無理して泳ごうとすると、水を飲んだり体力を失ったりして、
おぼれたり力尽きて命を失う。
川の流れにはまっすぐ流れているところのほかに、淀んでいる「淵」といわれるところもあるし、
渦を巻いているところもある。
この渦にハマっちゃったのが天竜川の事件ね。
そこを切りぬけるには、ただ、じっと流されて行きながらチャンスをうかがう。
いつか必ず、岸の近くに流れが寄る。
そのときに、水草とか何かをつかめと。
これ、人生にも言えるよね?
底の見えない、淵にはまりそうになるときもある。
人間関係の渦に巻き込まれる時もある。
流れにゆだねてみろ、ってことね。
いつか必ず、岸に上がれる。
チャンスはいつかやってくる。じたばたしたら死ぬ。
釈先生は20km流されたことがあるらしいですね。
橋の上から飛びこむ度胸試しの修行で、飛びこんだら、胸を打ってむちうちになって
1か月入院したとかΣ( ̄□ ̄;)!
20km流された時は、傷だらけだったけど生き延びた。
その時の心境は・・・
先の道が「生きる」なら生かされる。死ぬ時は死ぬだろう。。。
こういう心境に達するには、1日1日を、今日、明日あの世に行っても満足、という
生き方をしないと無理だわね。
なにか大きい事件とか何かがあって、時間の川が濁流になった時は。
もう、身を任せてゆだねろと。
無理はするなと。じたばたするんじゃないと。
チャンスは必ず来るから。
そしていつか・・・濁流は3日もすれば元に戻るんだと。
いつものきれいな川に、ほっといてもなるんだと。
釈先生の濁流の話はここまででした。
最近、おばちゃんコーラスで、大変化の時が来てね。
それとダブったわけです。
たぶん、横浜のみなさんも先生もいま、濁流の中かもしれない。
いまさら、元には戻れない。
元に戻ることが幸せとも限らない。
年上の、自分の親のような年の人にこんな話をしたって、どうなるものでもない。
だけどね。
これもまた必然だと思うのね。
いつか必ず、清流に戻る時が来る。
自分ははたから見てるしかできなかったから、いまさら濁流の中に飛び込めない。
要は、流れを変えようと思うなってことね。
自分がおぼれるかもしれないのに、どうして流れを変えることができる?
その力は、岸に上がるためのチャンスの時に使えと。
いつか、穏やかになる時が必ず来るから。
人は、流れに身を任せることもなかなかできない。
へたすると、濁流の流れを変えようとする人までいる。
でもそれは無理なんだな。
台風12号の、紀伊半島の被災地のように、濁流の前にはなすすべがない。
いつかきっと、あの濁流があったから今がある、と思える日が来ると思う。
今日はその・・・どんな濁流だったか、そしてながされた結果?を、
皆さんに知らせないといけない。
まぁ私が話すわけじゃないけどね。
でも最後にね。
皆さんに「締め」として言うことはできるかもしれない。
いまできることは・・・
ただ、清流になる日が来るのを待つこと。
濁流の中の人たちが、ゆだねて流されつつ、チャンスが来て岸に上がれるように祈るのみ。
人の生きざまを変えることはできない。
時の流れを変えることもできない。
ただ眺めているだけだけど、心の中は実は応援してるんですよ(^O^)/
川は、どんなに助けがあっても、最後は自力で上がらないといけない。
みんな、がんばれぇ♪