
先生の対応もいいじゃないですが。
話を聞いてくれて、キッパリ断る。
その後の対応は普通。
教育者の鑑だ?
何回か書いてますが、高校の時の化学の先生が好きでしたねぇ♪
好きと言うより憧れだったのかもしれない。
そもそも、化学部に1年生が一人もいなくて存亡の危機にあり、
先生は適当に声をかけてたのかもしれない。
入ってほしいと直接言われて・・・なんか、心が動いた(*^m^)
・・・そのころ、室内楽同好会が潰れて、次に合唱部にいったけど、
上下関係激しすぎて辞めたばっかりで、部活浪人中だったからなぁ・・・
どこでその情報を手に入れたんだか(*^m^)
そのころは理科にそんなに興味がなかった。
でもそれがきっかけで成績急上昇(*^m^)
化学だけでなく全部急上昇\(^o^)/
体育をのぞいて(-_-;)
もーーーこれはどーしようもないわね。
センスゼロですから。
努力しても実らないものもあるんですよ。。。
先生の力はすごいもんです。
たかがそれだけで、今、娘に化学反応式を教えられる。
娘はそこだけ遺伝したのか、この理科Aのこの部分だけみたいですが、
得意科目になってます(*^m^)
中間テストでは理科Aでクラス2位。
全く理系と関係ない人生を送っている娘が、2位・・・??
先生が特別イケメンだったわけじゃない。
たぶん、20代後半だったなぁ。
当時は先生から直接スカウトがあるなんて、考えられなかったしねぇ。
認められた、って感じたのかもしれない。
(実際、その当時認められる要素はなかった)
でも、1年で砧工業高校へ転勤。
告白するヒマなんてあったもんじゃない。
先生の転勤で、3年になったら化学Ⅱを手取り足とり教えてもらう夢は、
はかなく消えました/(-_-;)\
そのころから何かあったのかもしれない・・・
砧工業は先生の自宅近くだから。
先生が亡くなったという連絡が入ったのは、たしか大学生のころ(T_T)
30代ですよ?早すぎ。
どうして亡くなったのか、まったくわかりません。
事故でないことは確かです。
そして記憶はそのまま美化されて現在に至ります(*^m^)
化学室に入り浸った理由は、先生がいたから。
でも結局は化学が好きになって、先生が転勤しても居座り続け、
受験の3年生になっても部活をやってた(*^m^)
というか、化学室のビーカーでラーメン作ったりしてた(*^m^)
3年だから、誰も止める人がいないからねぇ。
娘が生まれてから、なんか先生の自宅近くに行く用事があって、
勇気を出して、これも縁かもと思って行ってみました。
お店だから、入りやすかったし。
訪ねて行ったのは喜んでくれましたが、それ以上は聞けませんでしたね。
当時のことをほじくり返しても悲しくなるだけ。
よかったのは、先生をずっと思い続けていなかったことかな。
理科が好きになって、全体の(体育をのぞく!!)成績がアップするという、
いい方向に動いた。
ベクトルがそっちにいったから、先生も天国で喜んでくれていると思います。
先生は、私があの世に行ったら、お礼をしたい人の一人です。