イメージ 1

三女は私の三女になる前から

名前が決まっていました。

長女も次女も、私のもとに来てから名前を決めたのに

三女だけは、ペットショップで会ったその時に、名前が決まっていました。

家族がその名前を叫んでから、半日もしないうちに

三女は私の家族になりました。



ペットショップで6か月間、だれにも引き取られることなく、

ワクチンもあらかた済ませて、大きくなったからっていう理由で

ペットを見に来るお客さんが触ってもいいように

三女は窓ガラスの向こうではなく、柵の中にいました。


初めて三女を抱いたとき、疲れ切っていたのか、ただ眠かったのか

三女は私の腕の中で動きもせず、その顎を私にもたせ掛けました。


ビーグルといえばトライカラー。

でも、三女はホワイトレモン。

トライカラーの次女や、背中が真っ黒の長女とは違って

黒毛がどこにも見当たらない、それはそれは、その名前にふさわしい外見でした。



私の三女になって、ドッグランデビューして間もなく、彼女は


女番長


そんな不名誉なあだ名をつけられました。

理由はだって、大きい子でも小さい子でも誰彼構わず、はじめましての子に

ガウガウしてしまうから。


そんな三女でしたが、おもちゃを持たせればいつまでも飽きることなく

咥えたまんまそこら中を駆けずり回り、

山のふもとにあるそのドッグランで木霊が聞こえるほど、音のなるおもちゃを

噛み続ける、そんな子でした。




外ではガウガウ言う割には、長女と次女にはからっきし弱くて

長女にちょっかいを出して怒られて、足をかまれて何度情けない鳴き声を上げたことか。

次女にちょっかいを出して怒られて、耳元で大きな声で吠えられて何度尻尾をまいたことか。


おしまいの時のその1週間、水も飲まず、食べ物も食べなかったくせに三女は、

毎日のように散歩をせがみました。

そして、去年の今日です。

とても短くはなったけど朝の散歩から帰ってくるその途中、

家に入る直前で突然けいれんをおこし、

私の腕の中で三女は、虹の橋を渡りました。



年を取ってからの三女は茶色が見事なまでに抜け落ちて、

白いラブラドールの赤ちゃんって言われるくらい、真っ白になったけど

私の中ではいつまでたっても、その名前の通りの茶色と白の、ホワイトレモンでした。






三女。

私の三女になるその数時間前から決まっていたお前の名前は

カステラ。

イメージ 1

カイゴとイマジン・ドラゴンズが今年2018年にコラボした歌です。



もう何百回となくあきらめてきたけどね

奇跡ってそうそう、無視できたものでもないって、それもわかってるんだ。

何を言ってるのさ、そう、思ってるだろけど。




そんな歌詞で始まるこの歌は、何度も繰り返されるこのフレーズで

埋め尽くされます。



君のこと知るまで、私誰も知らなかったんだ。

雨が降れば、それはもう土砂降りにもなるけどさ、

でもね

私、君のものになるために生まれてきたんだ




三女。


お前が、私のそばにいるために生まれてきた、そんな傲慢なことは

思わないけどね。


でも少なくとも私はこう、思ってる。

私がお前のそばにいられたのはきっと、



私がお前のそばにいるために、ここにいたから。

イメージ 1

この歌を最初に聴いたのが1984年。

ドン・ヘンリーの Building The Perfect Beast に収められた歌です。

ほら、7月4日ってアメリカの独立記念日じゃない。

で、歌詞の中にその Fourth of July が入ってる歌で、一番印象に残っている歌です。




工場勤めをやめて、農業一筋でやってきて、気候の変化に打ちのめされたり

土のぬくもりに喜びを感じたり。

干ばつや高い税金、それに冷戦が世間を覆っても、そりゃ生活は苦しかったけど

まとう服と履く靴はいつもあるくらいの生活で頑張ってきた。


そんな年老いた農家が、家の前のベンチに座りながら



ここに座って、風の音を聞いて

ここに座って、手をこすり合わせて

ここに座って、時計の音を聞いて

で、思うんだ。

いつになったら私、今はもうここにいない仲間に会えるんだろう






この歌を初めて聴いた当時はね、自分が家庭を持つことなんか夢にも思っていなかったし

ましてや子供の子供がいるなんてこと、想像もしてなかった。

でもぼんやりとね、いつかはそうなるんじゃないかって、思っていた時期でした。

そして遠い将来、子供や義理の息子の愚痴を聞きながら、やれやれ、なんて思う時間を

過ごすことになるのかな、そんなことをぼんやりと想像していました。



私には子供もいないし、ましてや子供の子供もいないけど

その代わり、私には三姉妹がそばにいてくれました。


きっと私は、この歌の老人のような黄昏時を迎えることはないのだろうけど

黄昏時を過ぎたその先には、三姉妹が待っている。


そんなことを今この歌を聴きながら、考えています。

イメージ 1

この歌、ついこの前あったグラミーで歌われていたっけ。

ショーン・メンデスの2018年のアルバム。


初めてこの歌、何の予備知識もなく聞いたときの

 It isn't in my blood

この、自分の血にないものってのが、なんだったんだろうってのが

今ひとつピンとこなかったので、後で歌詞つきで聴きなおした歌でした。


だって。

誰かに助けて、どんな強い薬でも無理っぽい、って叫ぶ自分と

あきらめることなんて考えられない、そんなのは本当の私じゃない

その二つの気持ちって、どう考えても混乱しているようにしか思えなくて。



歌詞を見て思い直しました。

混乱そのものが、心の中にある葛藤そのものが、この歌なのかな。




写真に収まったこの三女には

混乱や葛藤なんて、無縁のものなのだろうけど。


行きつけだったスタバの日曜日の朝。

日の光で暖かくなった床に腹ばいになって、

おなかを温めるのが好きな、そんなひとときの幸せだけが

その時のお前の全て、そう思える姿でした。


お前が虹の橋に渡った7月9日まで、あと1週間。

遠い国の独立記念日もあれば七夕もあるのにさ。


最後の最後まで、ほんっとに物を食べない以外はいつもの姿を

見せてくれたお前を抱いたその感触、今も忘れてない。

イメージ 1

日中30度を平気で超えるこの週末は

夜明け前に公園に行って、次女と散歩するには

十分な理由でした。


テキストの文字は、2015年のショーン・メンデスのデビューアルバム。

Handwritten と名付けられたそのアルバムの最後の歌からです。



や、でもね誤解するなよ次女。

夜明け前に散歩に出なきゃいけないこと、耐えなきゃならない苦行みたいには

これっぽっちも思ってないから。



むしろ寝不足なのに毎朝日の出前に私の顔を舐めまわす、

そちらのほうがどちらかというと毎日のように耐えていることだけどね。