カリフォルニア州は、日本人にとって、一番馴染みのある外国の土地ではないでしょうか? 以下のビデオは、ごく短く簡潔にまとめられたカリフォルニア州の歴史です。

 

History of California in 13 Minutes (Knowledgea)

 

ビデオで紹介されていますが、カリフォルニアの地に最初に到達したヨーロッパ人は、フアン・ロドリゲス・カブリロ(Juan Rodriguez Cabrillo, 1497-1543)というポルトガル人でした。もっとも、彼は西海岸を探索してみたものの、これ以上は見る価値ナシと判断したそうです。

 

私が大学生のときに留学したサンタ・クルーズには、カブリロ・カレッジ(Cabrillo College)というコミュニティ・カレッジがありました。このビデオを見て、名前の由来がわかったというか、頭の中でつながりました。当時履修した発達心理学(Developmental Psychology)の授業で、このカレッジに併設されている保育園(Children's Center & Lab School)に連れて行かれて、各学生が児童を1人担当してその行動を記述せよという課題を与えられたことを思い出しました。英語の語彙のなかった私には、なかなか難しい課題でした。担当教員はその辺わかってくれていたので、特に何も言わずにスルーしてくれましたが...  

 

Cabrillo College(画像はカレッジHPから)

 

それはさておき、カリフォルニア(当時の呼称で Alta California)の地に最初に定住したのは(スペイン系の)カトリック宣教師たちでした。彼らはキリスト教と西洋文明を先住民に伝える一方で、人と土地の収奪もしました。この辺はヨーロッパ人が入った土地では何処も同じです。彼らは今日も街として残るいくつかの土地に定住しました。サンタ・クルーズもその1つです。(ちなみに、カブリロは先住民の収奪に関与したということで、カブリロ・カレッジの名前を変えるべきではないかという議論がもち上がっているそうです。Black Lives Matter 運動の余波ですね。カブリロ・カレッジのHPにも、名前の由来について説明と釈明のようなことが書いてあります。)

 

その後、メキシコがスペインから独立すると(1821年)、カリフォルニアもメキシコの一部になります。しかしそこにアメリカ合衆国から人が流入します。このようなことは当時メキシコの一部であった後のテキサスでも起こっていて、アメリカ合衆国によるテキサス州併合(1845年)をきっかけに起きた米墨戦争(Mexican-American War, 1846-48年)の結果、カリフォルニアもアメリカ合衆国に併合されました(グアダルーペ・イダルゴ条約:Treaty of Guadalupe Hidalgo, 1848年)。

 

カリフォルニアはこの2年後の1850年に31番目の州となるのですが、1848年には、金が見つかり、有名なゴールドラッシュが起きました。また、1861〜65年の南北戦争からはある程度距離を置いた状況だったようです。

 

その後の出来事はビデオをご覧ください。現在、カリフォルニア州は、アメリカで最大の人口を抱える州(ほぼ4000万人)であり、人種的な多様性など、何かにつけて影響力の大きな州です。

 

このビデオには出てきませんが、太平洋を隔てた西海岸なので、開国以降日本人がかなり移り住み、太平洋戦争中は日系人が収容所に入れられたなど、日本の歴史とも深い関わりがあります。アメリカ合衆国の全般的な歴史はある程度学校でも習いますが、カリフォルニアに注目してアメリカの歴史を見てみるのもまた、面白いと思います。