まだ邦訳は出ていないようですが、昨年かなり評判になった Babel, or the Necessity of Violence: An Arcane History of the Oxford Translators' Revolution (R. F. Kuang, Harper Voyager, 2022) という本があります。

 

 

19世紀の中国、疫病で家族を失った男の子を、謎のイギリス人学者ロヴェルが引き取ってイギリスへと連れて行きます。しかしこの子の家にはもともと家政婦がいて、彼女を通じて以前から英語を習っていました。ロヴェルに拾われたのは、単なる偶然では決してないような...  ロビンと名乗ることになったその子は、ロンドン郊外のロヴェルの家で、オックスフォード大学の翻訳者の会議、バベルに参加すべくラテン語やギリシャ語の訓練を受けはじめます。と、こういう始まりの本で、実際のオックスフォード大学や当時のイギリス社会のことをきちんと調べたうえで、創作の要素を付け加えた架空のオックスフォードが舞台になっています。

 

映画化もされたようですし、邦訳も出ることでしょう。ただ、言語の学習に関していろいろと面白い記述があるので、1つだけ紹介しておきます。

 

イギリスにやって来たロビンは英語、ラテン語、ギリシャ語の訓練を受け始めるのですが、ロヴェルはロビンが中国語を忘れないように、時間のあるときに中国語も復習をさせます。それを不思議に感じたロビンが、ロヴェルになぜ中国語をわざわざ勉強する必要があるのかと尋ねます。それに対してロヴェルは、こう言います:

 

You've grown up with solid foundations in Mandarin, Cantonese, and English. That's very fortunate -- there are adults who spend their lifetimes trying to achieve what you have. And even if they do, they achieve only a passable fluency -- enough to get by, if they think hard and recall vocabulary before speaking -- but nothing close to a native fluency where words come unbidden, without lag or labour. You, on the other hand, have already mastered the hardest parts of two language systems -- the accents and rhythm, those unconscious quirks that adults take forever to learn, and even then, not quite. But you must maintain them. You can't aqander your natural gifts.

 

私のような、子どもの頃に外国語(私の場合は英語)に触れて育たなかった人は、ロヴェル教授の言う大人(adults)のような感じを持っているのではないでしょうか。そして、小さいうちにバイリンガルになった帰国子女のような人が、自分が一生かけてもマスターできないことを、自然に、やすやすと習得しているように感じてしまいます(ただ、彼らには彼らなりの苦労があって、ロビンがわざわざ中国語を勉強するのも、そのような苦労の1つでしょうけれど)。また、英語学習をできるだけ早く開始すべきと考えている人たちが思い描いているイメージは、おそらく、ロビンが英語を習得したのと少しでも近いことを、日本の学校で再現する、そんな気がします。この感覚を見事に文章にしていますね。

 

この本は今読んでいるところなので、また面白いところがあったらご紹介します。文章も読みやすいので、興味のある方は、翻訳が出る前にぜひ原著を読んでしまってください。