ここのところ、下の子(小6)の話が続いていますね。

 

3学期の終業式が先日あり、通知表をもらってきました。小学校最後の通知表です。その内容は、先学期に比べてやや頑張ったかな...という感じでした。それはさておき、私が話したいのは、もっと一般的な通知表の書き方です。

 

今は、新学習指導要領にしたがって、各教科について「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に取り組む態度」の3つの観点で書くことになっています。各観点について、文言は学校や地域によって違うかもしれませんが、そのうえで、「よくできる」「できる」「もう少し」で評価します(したがって、各教科等について、評価は1つではなく、3つつくことになります)。また、この3つの観点をどう表現するかも各学校で異なっていて、うちの子の学校の場合、例えば英語はこんな感じです:

 

「簡単な語句や基本的な表現について理解し、それらを用いてコミュニケーションを行う技能を身に付けることができる。」

「目的や場面、状況に応じて、外国語を用いて自分の考えや気持ちを伝えあうことができる。」

「文化に対する理解を深め、主体的に外国語を用いてコミュニケーションを図ろうとしている。」

 

「知識・技能」と「思考・判断・表現」は、「...できる」になっています。

「主体性」は、「...しようとしている」のように、確かに態度的なことが書いてあります。

 

そしてこの通知表、特に学習についての評価は、それぞれの観点に対して、どの程度達成したかを表したもので(学年の目標に達していれば「できる」に「○」がついています)、他の子と比べたりするものではなく、心身のバランスの取れた成長ができるよう、親子で一緒に考えるための手掛かりと位置づけられています。

 

少し歴史を遡ると、通知表に書かれるような「学力」の評価は、かつては、「知識・理解」でした。それが平成元年改定の学習指導要領を受けて、「学力」がいくつかの構成要素に分割され、その中で優先順位が逆転されました。いわゆる知識や勉強の出来不出来ではなくて、「態度」のようなものが上位に来たのです(渡辺雅子『納得の構造』, 東洋館出版社, 2004, pp.158-9)。「新学力観」と呼ばれます。

 

肝になっているのは、こういう考え方です:

 

新しい学力観では、学力を学習結果としての知識の量でとらえるのではなく、教科ごとに細分化された到達目標にいたる「過程」を評価するのである。(同, p.162)

 

以来、多少の変遷はありますが、基本的な考え方は変わっていません。

 

この事情はさておき、通知表を見ていていつも思うのは、学校の先生は大変だということです。これら教科の評価以外にも、どういう活動についてどう取り組んだとか、そして新たに教科となった「特別の教科 道徳」の評価(国語や算数と同じ評価とはいかないので、文章で書きます)とか、生活態度や行動の評価、総括的なコメントなど、かなり詳しく書くので、普段からメモをとっておかなくてはならないでしょう。例えばうちの子へのコメントにはこんなことが書いてありました:

 

算数の「並べ方と組み合わせ」の学習では、ものの並べ方や組み合わせについて、落ちや重なりがないように気を付けながら問題に取り組みました。【中略】委員会活動時には司会進行をしたり、中心となって委員会をまとめることができました。【後略】

 

ウィトゲンシュタインの「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」(『論理哲学論考』)にならって「ノーコメント」とはいきません。これで受け持つのが10人くらいだったらいいですが、30人もいたら、ほぼ不可能を可能にせよと言われているようなものです。

 

うちの子どもの学校では離任や転任する先生も発表されたようで、うちの子の学年がずっとお世話になった先生も数名学校を離れるようです。子どもたちのあいだでは、けっこうなニュースになっていました。

 

先生方、お世話になりました。また、これから中学校でお世話になる先生方、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

【3月26日追記】

 

そして、卒業式。

 

 

式のあと、スマホで友達と写真を撮りまくっていました。普段の学校生活はほとんど知りませんが、うちの子の仲の良い友達には、わりと穏やかな子が多いようです。