最近「マルハラ」という言葉があるのを知りました。マル(。=句点)ハラスメントのことだそうです。

 

例えばこんな記事があります:

 

【話題】LINEで文末に「。」は怒っている?「怖い」「冷たい」などの声も…

知らぬ間の“マルハラ”対策は

 

部下・後輩から届いた「電車が遅延してしまい、少し遅れてしまいそうです」というメッセージ。皆さんは、どう返していますか? 返事として送りがちな「了解しました。」などの「。」の部分が、送られた後輩側からすると、「怖い」や「冷たい」など「威圧的な印象がある」といい、今“マルハラスメント(マルハラ)”と話題になっています。(以下略)

 

FNN プライムオンライン(2024年2月8日)

 

私もこの2〜3年、必要に迫られて LINE を使うようになったのですが、老若男女を問わず、受け取るメッセージは「。」よりも絵文字で終わっている場合が多い気がします。私は、必ずしも意地を張っているだけではないのですが、絵文字を使わずに「。」で閉じるので、冷たく思われているかもしれないです。

 

なんでも「ハラスメント」と呼んでしまう風潮にもやや違和感を覚えますが、それはさておき、日本語の正書法を守る文章を「マルハラ」と呼ぶことに対する異論反論もまた多いです(「おばさん構文」とかいう言い方があるので、「若者 vs. 中高年」のようでもありますが、先に書いたように私の周りの中高年も絵文字を使うので、「マルハラ」を感じるのは若者に限ったことではないようです)。

 

「マルハラ」というくくり方には違和感や反感を覚えますが、ただ、そう感じる感じ方もわからないではありません。それなので、今日、この問題についての俵万智さんの意見(“マルハラ”に対して俵万智さんが一句 「句点を打つのも、おばさん構文と聞いて」 Xでは称賛の声。)をネットで読みましたが、なるほど、そういう切り返し方もあるかと思う一方、まあ、言葉は変化していくものですし、仕方ないかな、という気もしています。

 

でも、少しだけ書いておきます。

 

書き言葉というのは、話し言葉をただ文字に写しただけのものではありません。文字になることによって、伝わり方や、どう取り扱われるかにも違いが生じます。つまり、音声言語と文字言語には根本的な違いがあるのです。

 

話し言葉は、言葉が口から発せられた瞬間に消えてしまうものですから、話し言葉によるコミュニケーションは、直接対面で行われるのが通常です。その際には、口調であるとか相手の表情やジェスチャーなども、その言葉の意味の一部になります。同じ「バカじゃねーの」でも、笑って言うのと真顔で言うのとでは伝わる意味が異なります。笑いながら言う「バカじゃねーの」は、「誰もそんなこと思いつかない。すんごくいい!」にもなり得ますが、文字になった(メールなど)「バカじゃねーの」は真顔で「ばか」と宣告するのに似て、「バカ」という言葉の字義的な意味が基本的には伝わります(もちろん相手と自分の関係にもよりますが)。

 

書き言葉には書き言葉の有用性があるのですが(例えば、時間空間を超えてそのまま記録・伝達できること、つまり、小銭のように手から手へ形を変えずに渡すことのできる「モノ」のような性質を得ることによる有用性です)、話し言葉とはコミュニケーションのメカニズムが根本的に違うところがあって、字義的な意味しか通常伝わらないのはその1つです。

 

句読点を打つのは書き言葉のコミュニケーションです。文字言語では、直接相手と話していれば表情等によって伝わる部分が、削ぎ落とされてしまいます。そこを補うのが絵文字なのですが、句点を落とすのもこれに準じて、断定的な、事実を言い渡すだけの雰囲気にならないようにする手段なのでしょう。つまり話し言葉に伴う文脈的な情報(表情など)を、書き言葉でいかにして伝えるかを考えた方策が絵文字であったり句点を落とすことなのだと思います。

 

私は句点をあえて落としたり、絵文字を使うことには違和感があるので、自分ではしません。あえてすることといえば、例えば文末を「。」で結ぶのではなく、たまに「...」と曖昧にしておくくらいでしょうか。おおまけにまけて、「!」で終わることも、稀にあります(「ありがとう。」ではなくて「ありがとう!」とか)。

 

それなので、「マルハラ」というレッテルには違和感を感じますが、なぜそう感じる人があるのかについては、ある程度は理解できます。

 

でも一言。便利だからといってメールだのLINEだのに頼りすぎることはやめて、できるだけ直接会って話しましょう。文字で伝えることができると、嫌な顔ををされるのを見なくてすむとか、嫌味や怒鳴り声を聞かなくていいなど、面倒を避けられるところもありますが、いったん文字にしてしまうと、文字は書き手の意思を離れて独自の生態を持つようになります。それは物書きであるとか小説・詩を読む人は昔から知っていたことですが、今日のごく簡単でカジュアルで話し言葉の延長くらいに思われているLINEのメッセージでさえ、書き言葉である以上、そういうことが起きます。

 

スマホのメールや LINE ですませて面倒を避けているつもりが、句点で終わると相手が気分を害するのではないかと心配してしまうなど、結局、面倒なことになるのです。