「原爆の父」と呼ばれるロバート・オッペンハイマーの生涯を取り上げたビデオをご紹介します。今年公開のオッペンハイマーの映画(Oppenheimer)を宣伝しているようなところが大きいビデオなのですが、けっこう勉強になります。ちなみに、この映画をすでに観た何人かの友人は、揃っていい映画だと言っていました。

 

  こちらは映画のポスターです。

 

 

こちらがそのビデオ、元々は CBS Sunday Morning の特集です。ビデオの説明もコピーしておきます:
In his latest film, "Oppenheimer," director Christopher Nolan examines the efforts of physicist J. Robert Oppenheimer in the race to build the atomic bomb that ended World War II. What happened after the war proved to be an entirely different power struggle, as Oppenheimer was accused of being a Russian agent. CBS News national security correspondent David Martin talks with Nolan, and with Kai Bird, co-author of the Pulitzer Prize-winning biography, "American Prometheus." He also visits Los Alamos and the Trinity site - Ground Zero for when the world changed.
 
オッペンハイマー(J. Robert Oppenheimer, 1904-67)は理論物理学者で、原爆の開発をした「マンハッタン計画」を主導しました。しかし、広島と長崎に落とされた実際の原爆の被害などにショックを受け、以降は水爆の開発などに関して反対するようになります。このことと、妻や関係者に共産党員がいたことなどで事実上の公職追放のような扱い受けました。
 
ここからは、私の研究テーマの1つ、心理学者ジェローム・ブルーナーとオッペンハイマーの交流についてです。
 
オッペンハイマーは、1947年以降はプリンストン高等研究所(Institute for Advanced Study)所長を務めました。ブルーナーや、彼の周囲の心理学者・認知科学者たちも、高等研究所を通じるなどしてオッペンハイマーと交流がありました。
 
話は少し遡りますが、ブルーナーが学生だった頃、つまり20世紀前半の心理学は行動主義といって、刺激に対する反応とその習慣化から人間を含めた生物の行動を説明しようとしました(ごく簡単にいうと、何らかの刺激に対して元々はランダムにした反応に、褒美や罰が与えられることで、褒美に結びついた行動をより頻繁に行うようになり、罰を受けたことは避けるようになるという、ネズミなどの動物に見られる行動と習慣化から人間の行動も説明しようとする考え方です)。つまり、心理学のそもそもの対象である心(または精神:mind)はつかみどころがないので研究の対象から外して(よく言われるように刺激と反応の間に介在するブラックボックスとして、わからないので調べないことにして)、行動を説明しようとしました。そのことは、人間を含めた生物を、基本的に外界からの刺激に対して受け身の存在とみなすことを意味しました。心理学が「心」を研究することを放棄したと言って差し支えない状態にあったのです。
 
ブルーナーをはじめとする新しい心理学を目指した人たち(認知科学と呼ばれるものを作り上げました)が注目したいくつかの重要な点の中に、人間もその他の生物もただ刺激に対して受け身なのではなくて、より能動的に情報を探そうとする存在であること、そして、その探すということの中にある種の戦略のようなものを持っていることを指摘したということがあります。ここに心理学が「心」をとり戻す契機を見出したのです。
 
そのような発想を得た重要なきっかけの1つに、ブルーナーはオッペンハイマーの考えを挙げています。下の引用はブルーナーの自伝(邦訳『心を探して』ではなくて、1980年のThe History of Psychology in Autobiography, Vol.VIII)からです:
 

Robert Oppenheimer and John von Neumann had argued the year before that any efficient system of information seeking could be characterized by a ‘strategy’ that specified … not only what information would be taken up, but how that information would be searched for. This was the germ of the idea that started us off on the experiments that went into A Study of Thinking [1956].(Autobiography 1980, p.112)

 

この引用で「戦略」(strategy)と言っているのが、刺激に対する単なる反応ではない部分です。ただ刺激(情報)を「受け取る」だけではなく、どういう情報が欲しいのかを元に積極的に「探す」ところが重要です。ブルーナーはこの考え方を学習理論に応用しました。つまり、子どもであっても、ただ単に情報(知識)を受け取るだけではなく、もちろんレベルの差はあるだろうけれども、科学者と同じように「仮説」(hypothesis:別の、もっと普通の言い方をすれば「勘」 hunch、ブルーナーの言葉では「直観」intuition)を立てて、それを確かめるように学ぶもので、そういう学びこそが好奇心を刺激し、学習意欲を掻き立てるのだと言います。それで、彼は「発見学習」(discovery learning)という理論を打ち立てました。

 

Now, to most of us even today, and certainly to almost everyone in the mid-twentieth century, hypothesis testing was something that scientists did; the rest of us just learned stuff. But that was why Bruner’s idea was revolutionary. He suggested that everyone, even young children, did not just respond to the stimuli presented to them but were already in fact busy trying to make sense of the world and to bring it under control. Not just ‘seeing’ but actually ‘looking’. (David Olson, Jerome Bruner: The Cognitive Revolution in Educational Theory. New York: Continuumpp, 2007, pp.5-6)

 

ブルーナーはハーヴァード大学で学位を取得(1941年)してすぐ、ローズヴェルト大統領率いる戦時中の政府に対する世論の調査分析の仕事をしていました。毎週ワシントンに行って、そこでリチャード・トルマン(Richard Tolman, 1881-1948)夫妻の家に泊まっていたそうです。当時ブルーナーは知らなかったそうですが、トルマンはやはり物理学者でマンハッタン計画に加わっていました。そのつながりでオッペンハイマーも同じ晩によくトルマン宅を訪れていて、ブルーナーはそこでオッペンハイマーと出会い、意気投合したようです。ブルーナーはオッペンハイマーについて、こう言っています:

 

...brilliant, discursive in his interests, lavishly intolerant, ready to pursue any topic anywhere, extraordinarily lovable. We remained friends until his death…   (Autobiography 1980, p.96)

 
なかなか気難しい、一旦スイッチが入るととことん追求するタイプの人だったのでしょうか。その一方で、気に入った相手とはすごく仲良くなる。ブルーナーもそのような、オッペンハイマーのおメガネにかなった人だったのでしょう。
 
後半のブルーナーについての書き込みは、何のことやらよくわからんという方もあったと思います。このブログは私が研究上のメモ書きのように使っているところもあるので、ご容赦ください。