こんにちは 三浦真弓です。
何かのきっかけで、
「え〜!信じていたのに〜!裏切られた〜くっそー!」
みたいに思ったこと、ありませんか?
ちゃんと勉強していると言っていたから信じていたのに、何?この点!
とか、
模試を受けると言ったから信じてお金をあげたのに、なんでゲーム買ってるの!?
とか。
親子関係だけでなく、友人関係とか、人間関係のあるところには、いろいろ、発生しそうな話題です。
「信じていたのに」
って。
それについて、昨日、映画の完成報告イベントで、芦田愛菜さんが素敵なことをおっしゃっていました。
『信じます』ってよく聞く言葉ですけど、それはその人ではなくて、自分が理想とする人物像に期待していることなのかもしれないと考えたんです。
だからこそ人は『裏切られた』と感じたりもするけれど、
その人の見えなかった部分が見えただけだと受け止められる揺るがない自分がいることが“信じる”ということなのかなと思いました。
だからこそ人は『裏切られた』と感じたりもするけれど、
その人の見えなかった部分が見えただけだと受け止められる揺るがない自分がいることが“信じる”ということなのかなと思いました。
(ピンク強調は三浦)
すごいですね!
素敵ですね!
裏切られたと感じた部分は、自分が見えていなかった、その人の部分が見えただけだと受け止められる自分がいること。
確かに、
「え〜信じられない〜裏切られた」
と思う気持ちは、例えば、子どもに対してなら、
「〇〇なことをすると思っていたのに、しなかった。してくれなかった。だから、親として悲しい」
という感じでしょうか。
なので、これが進むと、
「私を悲しませた、あなた(子ども)は悪い子だ!」
にも、なってしまうかもしれません。
一方で、自分が知らなかった、見えていなかったところが見えただけという解釈なら、
「〇〇なことをすると思っていたのに、しなかった。そうかー。そういう時には、それはしない人なんだね。そうだとは、自分は知らなかったなぁ」
と、相手を責めることはなくなるでしょう。
演じるために、「信じる」ということについて、考えたとはいえ、
16歳で、素晴らしい考え方だなと思いました。
映画も気になるー!
映画の内容は、芦田愛菜ちゃんの発言については、こちらからどうぞ↓
芦田愛菜“信じる”ことの持論語る、永瀬正敏と原田知世が絶賛「しっかりしてる…」