先日、生誕劇が行われました
生誕劇は、シュタイナー学校では
教師が生徒のために、クリスマスプレゼントとして
行っている劇のようです
ここでは
名古屋シュタイナー土曜学校山里の森の先生方や
うめの森ヴァルドルフ子ども園の先生方
また、その父母たちの出演で
開催されました
マリアとヨゼフがベツレヘムへ向かう途中
馬小屋でイエスを出産し
そこへ羊飼いたちがやってくるお話です
家族で見に行きました
というか
夫が出演していました
昨年も出演していました
2学期になると、ほとんど毎週、土曜日は練習でした
土曜学校から帰宅する子どもたちと入れ違いに
家を出ていました
子どもには、行き先は言っていましたが
詳しくは話をせずに、いました
で、昨年、初めて生誕劇を見た次女8才と3度目の長女11才
長女は、途中で自分のお父さんが舞台に立っていることに気づきました
が
次女は、気づく様子なし
歌を歌いながら客席を何度も回っているのだけれど
特になんの反応もなく
ほぼ、劇が終わろうとする頃に、ちょっとながーい台詞がありました
「なんか、あの人、お父さんに似てるね~」
「そう? そうみえる?」
「でも、ちがう」
ほとんど終わり直前に、やっと
「お父さんかも」
と気づきました。他のお宅のお子さんも、終わるまで全然気がつかずに
その役(例えば、羊飼いや、宿屋の主人)の人と思って
劇のお話に集中していたようです
9才の危機という言葉があるのですが
9才を越えるまでは、まだ、メルヘンの世界にどっぷりつかることが出来ると
いうことなんでしょうね
誰が、どんな役をしているというのは関係ないわけです
確かに、以前、ヨハネ祭のイベントに参加したときも
低学年の子どもたちは
ヨハネのおじさんに、蜂蜜パンをもらったといっていました
が
高学年の子どもたちは、ヨハネが登場したときに
「○○のおじさんだ」とひそひそ話をしてました
こういった違いはどこからくるのか
それが自我の確立とどういう関係があるのか
なかなか本で読んでも難しいところもあるのですが
4年生からは、土曜学校でも、オイリュトミーの向きが変わったり
着せるクライトの色や素材を変える年齢になります
実際にわが子の反応を見て、違いがあるのを知ると
そのほかの勉強の仕方とか、親が伝えたいことの伝え方とかも
こういう伝え方や勉強の仕方だと、この年齢には理解しやすい
ということがあるわけに、すごく納得がいった出来事でした