(本文中の敬称は省略しております)

 敬称を省略すると冒頭で断っておきながら恐縮の至りなのですが、布施明というと私にとっては呼び捨てにするのも憚られる畏敬の対象です。
 昔さる評論家が彼について「なぜ布施明がオペラ歌手の道に進まなかったのか不思議でしょうがない。彼の力量なら日本を代表するテノール歌手になっていただろうに」と評していたのを思い出しますが、私も全く同感です。ポピュラーソングの男性歌手としては、私の知る限り日本が生んだ最高の歌い手の一人ではないかと。
 かつて人気を博した『8時だよ全員集合!』というお化け番組があったのは大概の方がご存知かと思います。あの番組は地方々々の総合体育館みたいな施設にセットを設えて生放送で配信されていたのですが、当時のマイクの性能がアレだったせいで、ちょくちょくハウリング等の音響トラブルが起きたりしていました。それでも毎回ゲスト歌手達が持ち歌を歌っていたのですが、歌い手さんの声量がデカ過ぎると稀に音が割れてしまう(ノイズみたいな感じになってしまう)事がありました。私の記憶ではこの音割れトラブルが起きたのは後にも先にも布施明と西城秀樹の二人だけです。ブラウン管にかぶり付きで見ていた私はただただ唖然とするばかりでした。

 『シクラメンのかほり』がリリースされたのは、調べてみたら1975年の事なんですね。もうじきあれから半世紀が経つ訳です。それまで目立った賞を受賞していなかった布施明は「無冠の帝王」と呼ばれたりしていたそうなのですが、この曲でレコ大を始めとする多くの賞を総なめにして、実力歌手として一気に飛躍しました。

 1975年といえば私は11歳。前年に父が亡くなり、既に父と離婚していた母に引き取られたものの、その母は別の男性と同棲中でお互いにギクシャクとした日々を過ごしていた頃になります。
 私を20歳で生んだ母は当時まだ31歳の筈で、そういう事情があっても別におかしくはないし、私としても自分のせいで母の幸せを壊したくはなかったので、その男性について悪感情を持ってはいなかったのですが、やはり互いにしっくり来なかったのでしょう。この翌年でしたか、彼は家を出ていきました。
 我が家はそれ以降長い事母子家庭になりました。まあ、それもこれも今では遠い過去の話ですがね(^.^)