私の30年の軌跡 第二部 | 〜ブログセラピー始めました〜

〜ブログセラピー始めました〜

ダサい、恥ずい、痛いやつ、そう思われたくなくて出さずにいた自分を開示するチャレンジ

さて、第一部では生まれてから親の離婚までの10年を綴りましたニコニコ




〜 ここまでのあらすじ 〜


幼少期の私は、母の完全なる庇護のもと、大体の物事は卒なくこなし、友達も沢山居て、何不自由ない生活を送っていました。


ですが、母の不倫を皮切りに、別居、離婚、引っ越し、再婚、と私を取り巻く環境が変化していく事となるのです。


そして、この出来事がただの序章にしか過ぎないと後々に思い知る事となるのです…。



〜あらすじ 終 〜




第一部の私を形作っていたのは『母』でした

二部では『友』と『継母』が大きなキーパーソンとなっていきます


振り返った今だこそわかる、あの時あの場所で何故それが起こったのか…








それでは






第二部の








始まり始まり〜











引っ越した時期は小学4年生の夏休み


私の新しい生活は、全くの見ず知らずの土地で、ひたすら新学期を待つだけの、最高につまらない夏休みで幕を開けました


何をして過ごしたのかもすら覚えて居ませんが、この土地でこんなに何事をなく過ごせるのは20年以上先になる事になるのですが、まさか当時の私が知る由もなく…



父の再婚相手12歳下、当時24歳の離婚経験のある3歳の息子がいる女性でした


父と私と弟。そして新しい母と新しい弟との新たな生活がスタートしました



継母を母と呼ぶには若過ぎたし、『お母さん』はもう一種の名前の様な感覚となっていたので、実母以外を母と呼ぶ事になんとも言えない違和感と抵抗がありました


継母の事は『ママ』若くは下の名前で呼ぶ事となり、彼女もそれを快く了承してくれました




再婚後は母と会う事は勿論、連絡を取る事も禁止されました
必然的に母方の祖父母との繋がりも絶たれました


寂しい思いが無かった訳ではないと思うのですが、印象に残るほど強い感情も抱かなかったようです

夏休みが暇だったと言う事しか記憶にありません





漸く新学期が始まり、少し緊張しながらワクワクして転校初日を迎えました


前の学校での私はそれなりに目立った存在(だと思っていたので)だったので、『特技は空手です!』黒板の前で自信満々に答えたのを覚えています
皆んなの『わ〜!カッコいい〜!』を期待して…


シーン………


注がれる視線は想像とは違っていました


馬鹿にしたような、不思議そうな、戸惑うような、面倒くさそうな、興味なさそうな


何この子?(笑)


と、いう視線でした


それをもの凄く恥ずかしく思った事を覚えています


私は本読みが得意でした
昔アナウンサーの仕事もしていた母は、本の読み聞かせがとても上手でした
それを聞いて育った私も、声の抑揚の付け方や感情の込め方、恐らく子供にしてはかなり上手かったと思います


なので私はそれを国語の授業で、自信満々で披露しました


すると、またもや注がれるのは異端なものを見るような視線
そして、良い事を言われては居ないとわかるヒソヒソと囁く声



何今の読み方?(笑)




私は人生ではじめて、馬鹿にされる、悪口を言われると言う経験をしました


絶対的に私を肯定してくれていた母はもういません

私の自信は母が作ったものでした
ハリボテの自信は少しの風で吹き飛びました
私はそれを繕う方法も知りませんでした



導だった母を失い、仮初の自信も失いました
私は私を形作っていたものを全て失ったのです



私の長い迷走の始まりです


母の代わりに私を形作るものを探しました



物心ついた時から私の操縦席には母を座らせていた為、自分がそこに座ると言う事を思い付きもしなかったのです




そして、現実は望まぬ方へと加速していきます






友人からは下僕のように扱われました

何を言われても、何をされてもヘラヘラと笑っていました

家では軍隊のような雁字搦めな生活を強いられました


門限、就寝、リビングにいる時間
全ての時間を管理されました 

返事は『はい』以外許されませんでした


弁当は作ってもらえませんでした
毎日自分で白ごはんと竹輪だけを詰めて持って行きました


靴も服もいつも誰かのお下がりでいつも同じ服でした
自分は好きなものを好きなだけ手に入れていました


バスケットシューズは小学校4年生から中学卒業まで同じものを履き続けました
足の爪が剥がれて生えてを繰り返しました


ロングヘアもショートにしました

土下座して頭を踏まれました

全裸で玄関から外に出されました




私は貯金箱からこっそりお金を抜きました
1円も与えてもらえなかったからです



担任の先生は言いました『ご両親が再婚した腹いせに困らせようとしての行動ですか?』と


私はその質問にとても傷つきました






時々実母が会いに来ました
こっそりと校庭の隅に立っていました


母は毎回同じ事しか言いません
全部自分が悪いのごめんなさい
そして決まって、私は良い子だからどこでもうまくやっていけると言いました

母の自己満足のためだけの自己弁護に

誰のせいでもないよ、大丈夫だよ、とテンプレートのように答えました





私は孤独でした

誰も助けてなんてくれませんでした

味方はどこにもいませんでした

私ですら、私の味方ではなかったのです



私は自分の感情を無視する方法を知りませんでした

私は私ではない誰かにいつも答えを求めていました

私は私の人生を他人に預ける生き方しかして来なかったのです




そんな、生活も中学卒業と同時に終わりを告げました

私は定員割れをした、良くも悪くもない普通の公立高校に受かりました


継母は私への興味を無くし、友人とは進路で別れ


またもや私は、私を形作ってきた沢山の呪縛から一気に解放されることとなるのでした











〜第三部へ続く〜