私の30年の軌跡 第一部 | 〜ブログセラピー始めました〜

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ダサい、恥ずい、痛いやつ、そう思われたくなくて出さずにいた自分を開示するチャレンジ

お久しぶりです照れ



書きたい事は次から次に出てくるし、文章を考えるのはとても好きなのですが、これに向き合い出すと他のものが手につかなくなってしまう為、中々書き出せずでしたガーン




今の私を形成した、父、母、継母、友、元旦那…

彼、彼女らとの関わりの中で、今だからこそ見える関係生の歪さなどを順を追って整理していきたいと思いますニコニコ


振り返ると節目での環境の変化が大きい人生なので


生まれて〜両親の離婚までが『第一部』
父の再婚〜中学卒業までが『第二部』
高校入学〜結婚までが『第三部』
出産〜離婚『第四部』
元旦那自死〜今現在


と言う感じで分けようかと思います(後々変更するかもしれませんが)ウインク



ではでは




長くて短い30年分の物語





第一部の





始まり始まり〜









私は、消防士の父とOLとして働いていた母との間に生まれました


母はじっとするのが苦手で常に動いているような…とてもアクティブな人でした
そして、世間様のルールを重要視する人でもありました


父は自分の世界観を持った一人が好きな人でした
おまけに職業柄、夜勤の次の日は一日中眠っていました
なので小さい時に父に遊んで貰った記憶は殆どなく、必然的に母が私の土台を形成する事となりました


母の理想は
勉強も運動も出来て、明るく賢く友達もたくさんいてクラスの中心となる
そんな優等生でした

私は母の理想通りの娘でした


母はそんな私を過保護に可愛がりました
それはもう見兼ねた祖母(母の親)が苦言を呈すほどでしたが、母は耳を貸しませんでした


私は、母が綺麗に整えた私の為(=母自身の為)のレールを真っ直ぐになぞって過ごしました


私立の保育園に通い、英会話、ピアノ、水泳、体操、空手、テニス…物心ついた頃から毎日習い事がありました


今思うと自分からやりたい、と思って習っていたものはごく僅か…
だけど当時はそれを考える余地もない程に、それが当たり前だと信じて疑いもしませんでした


私は器用だったようで、大体の事はそれなりにこなせました
それと同時に何かに一生懸命になった事もありませんでした

キリスト教の保育園で演じた、イエス誕生の劇では率先して宿屋に立候補しました

マラソン大会や空手の大会でも、私は2位に落ち着きました


マリア様や天使様の役を競い合う女の子達

勝ちを掴もうと努力する子達

その姿を見ると、なんとも言えない不快感を感じて一歩引いてしまっていました
ダサい奴らと見下していたと当時は思っていました


ですが、本当は違いました
私は、それを手に入れたい!と自分の為に自分が動くほど、自分の事を知らなかった
なぜなら、私の事全てを母に委ねてしまっていたから…

だから、自分をもったその子達を羨ましく感じていたのだと思います


とは言え、無意識化でそんな歪な未発達な自己を抱えてながらも、両親と裕福な祖父母にとても可愛がられ何不自由ない平和な日々を送っていました





そんな日常は私が9歳の時、私のテニスのコーチと母が不倫した事により、唐突に終わりを告げました




小学3年生のある夏の夜
トイレに行きたくなって目を覚ました私は、隣に寝ていたはずの父と母の姿がない事に気がつきました

光が漏れていたリビング側の扉を開けると、ダイニングテーブルに向かい合って座る父と母がいました


ただならぬ雰囲気を感じ、私は廊下側の扉から出るべきだったと即座に後悔しました

父が私を呼びました
先にトイレに行きたいとは言い出せず、私は大人しく父の膝の上に座りました


少しの沈黙の後

『お父さんとお母さんな、離婚する事になってん』

普段の父からは想像できないような弱々しい声でした


見上げると父は泣いていました
向かいに座る母は俯いて一切顔を上げません


初めて見る父の涙に驚き、そしてこの先に見る事はあるのかな?など、呑気にそう思った事を強烈に記憶しています


私は何と言うべきなのか?
泣くべきなのか?
嫌だと駄々を捏ねるべきなのか?


私は正解の行動に迷いました
この時から既に、私は自分を見失っていました
私が何を思うかなんかより、良い子である事の方がずっと大切だったのです


その時の私には正しい答えを導き出す事が出来ず、肯定も否定もせずに、父の膝を離れました


そして、トイレを済ませた私はリビングの扉は開けずに、廊下から直接和室へ入って眠りにつきました



その後、当時4歳だった弟は勿論、私にも特に何か話をするでとなく母は家を出て別居となりました

しかし、夜勤のある父の仕事の都合上、父の不在時には母が家に帰ってきて私や弟の面倒を見る、と言う不思議な生活が数ヶ月続きました



その間に、母の不倫相手が私のテニスのコーチである事知りました

その人の事を語る母はどこか楽しそうでした

母はただの自分の純粋な片思いだったのに、違う人を好きになった自分の事を父が許してくれなかったと説明しました(これは後に嘘だと知りました)


正直気持ち悪いと思いました


父と母どちらについて行きたいかも聞かれました

私は『お母さんは私が居なくても大丈夫だけど、お父さんは私がいないとダメだからお父さんと居る。』と答えました


この時の事を母は、
私がお母さんと居たいと言ったらどんな手段を使っても、私と弟を引き取った。
だけど、優しい私が父を選んだから泣く泣く身を引いた

おまけに、父に母の好き勝手にはさせるのは勘に触るから、子供2人は自分が引き取る!と無理やり引き離されたのだ、と私に語りました


当時の私は幼かったし、母の言う事は100%の真実でした

1ミリも疑う事なく、父が母に意地悪をしたのだと思っていました



ですが今現在から2年ほど前に母方の祖母より、この時の真実を聞かされました


母は離婚を止める祖父母に対し、離婚推進派の友達を引き連れてかなり攻撃的に祖父母に抗議をしにきたそうです
その上、どうしても離婚をするのであれば、せめて子供は引き取ったらどう?と進言し援助を申し出るも、子供は手放して彼氏と一緒になるのだ!と祖母と祖父が何を言っても聞く耳を持たずだった…


と、祖母が重い口を開いてくれました




何故あの当時、私は殆ど遊んでもくれなかった父に着いて行くと言ったのか…ずっと不思議でした

不倫をした母を気持ち悪いと思った事は間違いありません
ですが、この時の私は自分の思いより母の思いが第一でした
だから、本気で母が私や弟と一緒にいたいと思っていたらそちらを選んだでしょう

私は、敏感に母の本当の思いを感じ取っていたのだと思います

子供と離れて、テニスのコーチと2人になりたいと言う母の思いを…





一方父は、長年連れ添ったパートナー(父と母は高校の同級生)に裏切られ、慣れない家の事や子供との対話に彼なりに必死に向き合っていました


私は、弟と父と過ごし、たまに母が家に来るこの生活に実は満足していました



ですが、その生活も長くは続きませんでした


暫くすると父は見知らぬ女性と子供の元に、私と弟を連れて行くようになりました


当時私達が住んでいたのは神戸でしたが、毎週のようにその女性の住む大阪まで通いました


この女性は友達だと紹介されましたが、私はそれを鵜呑みするほど幼くもありませんでした



両親の離婚は、母が出て行った半年後に成立しました

その半年後に父はその女性と再婚し、同時に大阪への引っ越しも決まりました

父の職場はその女性の住む大阪だったので、引っ越しは妥当な選択だったのでしょう



こうして私は、住み慣れた町、家、友、母、祖父母から離れ、新しい環境へと大きく移り変わることとなりました



まさかこれが、怒涛の人生のほんの始まりに過ぎないとも知らずに…







〜第二部へ続く〜