もやもやとは関係ない話。
今日たまたま本屋さんで
70代後半くらいのご年配の方で
足が内股でつま先歩きを杖をつきながらしていた方がいました。
広めの本屋さんだったのですが
その方と何度も遭遇。
私とおじさま、年代は違うけれど
本の趣味は同じようで何度も会釈。
なんとなくほのぼの。
そのおじさま、レジの後お金を落としてしまい、右手に購入した本、左手に杖、首からかけたショルダーバッグがお腹に。
お金を拾うとなると明らかにバランスを崩す状態。
「拾っても良いですか?」と聞くと
おじさま、言葉にならないことばで頷く様子
「200円、バッグに入れますね」
またまた、うなづくおじさま
おじさま、前傾姿勢で歩き出しましたが
チャックが開いたバッグから物が落ちそう
「荷物中から落ちそうなので、チャック閉めて良いですか」
おじさま、言葉にならないことばで
うなづいている?
おじさまの抵抗なくチャック閉めました。
ふと帰ってから、おせっかいだったかな?
もしかしたら、バッグのチャック開いていた方が
都合良かったかな?
タクシー乗ったなら、開けれなくて困ってないかな?
なんか色々考えてしまった。
働いていた時は、こんなやりとりは日常に溢れていて、それが大変だったこともあったけれど
今は、しっかり身に染み付いていて、ついついおせっかい心で声をかけてしまう。
このやりとり懐かしいし、また仕事したいなの気持ちが溢れてくる。
仕事していた時は、忙しさのあまり、そんな気持ちや手伝わせていただくこの気持ちのありがたさ、人と人との思いやりからくる自然の流れに気がつくことは少なく、日々流れていたけど
忙しいながらに、ありがたい経験を仕事を通してさせてもらっていたんだなと思う。
本当に人って失って気がつくこと多いよね。
あー仕事したいな。
息子よ、早く大きくなって。
と言っても、子供の育児もひと段落して手が離れると、育児の忙しさの中で気が付かなかった幸せに気がついて
同じこと言うんだろうな。
そう言いながらも、子どもの成長を見届ける今に感謝しなくては。
失って気がつく
人間の成長のきっかけなんだよね。