魚介鍋。
さあ、美味しそうな魚介鍋をつつきながら、まずは今夜から愉しい3日間を過ごしましょう。 その鍋の食材を購入するために、徒歩でスーパーに向かいながら、最近は「いかがなものか?」というフレーズをあまり見なく、あるいは聴かなくなったなぁ、それはとてもいいことだと思ったのです。 あの「超上から目線」の言葉、本当は透徹な知性と大人の品性を持つ者のみが発するべきあの言葉が濫用されていた時は、いつも気分が悪くなっていました。 透徹な知性、すなわち、自分の頭で考え、自分にふさわしい言葉を使うこと、それができない方々が何も考えず、すぐに他人の真似をし、今度は誰かがあの言葉は「超上から目線だ」とネットに書き込めば、すぐに使用を停止する。そういう条件反射的な言語使用の循環を繰り返すのは、知性があるとは到底言えず、そういう方々が様々なメディアに他者の非難、批評や批判になっていない批評や批判を自己満足的に書き込んでいるのが目に入ると、本当にうんざりする。なぜか。そこには知性と品性によって照射される「希望」がないからだ。希望がなければ、愉しさは存在しない。