話が大きくずれましたが、私自身の「深く考えること」、すなわち「哲学すること」の定義はこれまで何度も書いてきましたので、ここではすべて省略します。
「深く考える」ことは、その過程では大いなる苦痛や我慢を伴う行為ではありますが、その目的は「幸せになるため」なので、最終的に何かが「降りてきた」時には、甘露の蜜で全心身が満たされる、ある意味、とても官能的な行為にもなります。
ただスポーツやビジネスのように心拍数と呼吸数を意識的に上げ、他者と競争し、興奮と熱狂の末に勝利=自己優位のエクスタシーを得ようとする行為とは対極にある静かで清らな行為だと私は思っています。
そう思えるようになったのも、何も思い残すことがないほど、煩悩塗れのスポーツやビジネスの世界を全心身で30年間以上体験してきたからこそで、今はそれらの世界にも感謝の念しか抱いておりません。
