ただし悲しいことに、「かいほう」が利得、金銭、名誉、自己承認、他者支配欲求などと強く結びつくと、そのド真中には、知性と理性をかなぐり捨てた、先祖返りしたような弱肉強食の原始的で粗暴で暴力的な真赤な、あるいは真黒に輝く穢れたエゴだけが現れてくる。
そのようなエゴが現れている様を仏教では我執、執着と言い、そこから快、不快、怒り、嫉妬、不安などの煩悩が生まれ、人はより苦しむと考える。
もしその苦しみから本当に脱したいならば、瞑想などの修養を通じて執着から離れ、「私」を超えていく必要がある。修養を経て、もし完全に「私」から「かいほう」されると、究極の幸せ、すなわち解脱、涅槃に到達できると仏教は教えている。
