昨日のブログに書いたように、アルゼンチンのプロサッカークラブ「リバープレート」で働かれている方に送ったメールに、ある事象の象徴として「花火」と書いたものの、アルゼンチンの花火は分からないけれども、ヨーロッパやUSA、アジアの花火は、色も形も単純で、ただ火薬を爆発させただけの非日常性(閃光と爆音)と祝祭性のみを表現した花火で、日本の花火とは大いに違うんだと思い、彼に送る日本の花火の動画を色々と視聴したんです。

 ボクが視聴した中では、新潟県長岡市の花火の動画が最も美しかったので、ここに添付します。もしよければ、みなさんもどうぞ。7分強の動画(音声あり)です。

 花火の起源には歴史的変遷と共に諸説ありますが、ボクが一番しっくりとくる説は、鎮魂を主な目的として打ち上げるという説ですかね。

 長岡市の花火も1945年8月1日にUSAの空襲によって1500人の長岡市民が亡くなり、その方々を悼み、鎮魂するために始まったようです。

 ただただ明るいだけで、陰影が何もないのは、花火に限らず、あまり魅力を感じませんよね。

 火と水は、世界中の多くの宗教の儀式で用いられる神聖、霊性溢れるものですが、日本の夏は、この花火と共に、灯籠流し、送り火(京都五山の送り火のように)などによって、死者を悼むのですよね。

 特に、ボクら広島、長崎出身にとって、夏の火と水は特別な意味を持つものなんですよ。

 果たして、ボクが送った花火の動画を、「リバープレート」の方はどう解釈されるのでしょうか?