ボクが一番好ましく思うサッカー中継は、実況者(いわゆるアナウンサー)がパスを出す・受けるプレーヤーの名前だけを淡々と静かに伝える中継で(ナショナルチームのゲームの際は、そのプレーヤーの所属クラブがテロップ表示されると、なお嬉しいです)、次に好ましく思うのは、実況者の音声がなく、ただスタジアム内の音声だけが流れる中継です。

 なぜそういう中継を好ましく思うのか?

 それはレベルの高低に関わらず、サッカーのゲームはそれ自体が既に「作品」=

「主役」で、その作品に過剰な演出は不要、また余計な情報によって、「私の視点でゲームを読み解く」ことが阻害され、その愉しみが奪われる、それが嫌だからです(私がゲームを読み解く力こそが、サッカー界全体を発展させるので)。

 日本のサッカー中継はそのほとんどが、解説者として元代表選手が出演し、男性アナウンサーが実況するというスタイルで、その内容は、ピッチの状況ウンチク解説から始まり(お互い同じ条件でしょ?)、フォーメーションの話だけに終始し(『型式ラブ』の日本人らいいよね。でもサッカーは対戦相手を0点に抑え、自チームが1点取れば勝利できるシンプルなゲームにしか過ぎないのよね。フォーメーションはそのための単なる手段のひとつでしょ!)、そして解説者の古い概念での無用なプレー解説と、「オー!」「スゲー!」「マジカ!」という感嘆語のオンパレード、そしてアナウンサーのうるさ過ぎる無用な情報提供と、「ゴール!」という絶叫で成立しています。そろそろこういうスタイルは変えた方がいいと思います。

 例えば、事前に十二分にそれぞれのチームをリサーチとした男女の実況者が、個人の感想などは一切話さず、それぞれのチームのプレーヤーの名前を、例えば男性はAチームを、女性はBチームのプレーヤーの名前だけをただ淡々と伝えるだけの中継とか。

 ボクが日本のサッカー中継を視聴して一番嫌だなと思うのは、勉強不足、リサーチ不足の解説者(元代表選手)がサッカーとは無関係のことを得意気に話したり、「ドヤ声」で昔の自慢話をすること、あるいは実況者が、例えば「花の都 パリ」や「無敵艦隊 スペイン」などと手垢のついた慣用句を連発する中継です。

 ゲームが「主役」であることを忘れ、あくまで「脇役」にしか過ぎない彼ら解説者や実況者が主役になろうする卑しさと傲慢さと無神経さが嫌なのです。そういう行為が、「私のサッカー脳」(ピッチ上のプレーだけではなく、ユニフォームやスパイク、タトゥーのデザイン、監督・コーチ、レフリーの動き、その日の観客数=チケッ売上の想像、サポーターの動作とchantとそのボリューム、ボランティア・民間警備会社・警察からなるセキュリティスタッフの動き、スポンサーボードの数=広告費→チーム人件費、VIP席に坐る株主の表情など、そのゲームとスタジアムに関わるすべての事象を等価に冷静に観察するサッカー脳)の強化の邪魔になるのが嫌なのです。

 彼らの中継によって、例えば美術館でひとり静かに絵を鑑賞したいのに、頼んでもいないのに横で延々と画家の周辺情報を解説をされる、コンサートで静かに室内楽を聴きたいのに、横の席で演奏者のゴシップや評価を語られる、あるいは素材に合っていない濃いソースをかけられた結果、素材そのものの味や香りがすべて消えた料理を食べさせられる、そういう感じになるんですよね。

 哲学の学問としての役割は、新しい概念=言葉を創造することによって、世界の見方を変えるとことと、ドゥルーズ=ガダリ先生は書かれていますが、いつまでも「花の都 パリ」などという言葉=概念を使い回し、それを聴き続けていると、パリの見方が何も変わらない、現在のパリの状況を自分の目で見て、肌で感じることをせず、遂には何も考えなくなりますよね。

 古い概念=言葉である「花の都 パリ」の使い回しは、例えばオリンピックのために日常生活と観光業などが壊滅的になっている現在のパリ、「移民問題」を巡るRN(右派 国民連合)とNFP(左派 新人民戦線)との激しい選挙戦の結果などの「生々しい」現在のパリやフランスの状況を隠蔽してしまう、そこに目を向けなくなる、それは同現在を生きる者として、とても危険なことだと思います。

 ボクらは、また特に表現者としての解説者や実況者は、通知が来て、自分のスマホのアプリを時々アップデートするように、自分の言葉=概念を常にアップデートすることに留意しないと、世界の見方が変わらず、それが固定されるといつのまにか「私ファースト」となってしまう。

 だから、そういうアップデート行為を放棄する脇役の解説者や実況者は、様々な「生々しい現在」を反映したサッカー中継には不要だ、とボクは思います。

 まあ現在の日本のサッカー解説者の多くの方々とボクは、お互い同じクラブで一緒に闘った、働いた、対戦相手の選手として常に対峙していた、ゴルフをした、食事をしたという、まったくお互いを知らないという関係ではなく、また彼らは小さな頃からサッカーをプレーすることだけに集中し(だからトップ選手になれた、そこには最大限の敬意を払います)、サッカーを言語化して他者に伝える、そういう現在のお仕事を子供の頃からしてきた訳ではないので、心情的には彼らをそんなに強く批判はしたくないけれども、しかしエンターティメントとしてサッカー中継をする場合は、プレーヤーの時のように(かつては主役)、事前にしっかり準備をし、最後まで集中し、中継の終了時に、「いい解説を聴けた、ありがとう」と視聴者を高いレベルで満足させて欲しいんですよね、脇役として。だから解説者のみなさん、どうか奮闘してください、心から応援しています。