野矢茂樹先生の「言語哲学がはじまる」(岩波新書、2023年)はとても愉しい本です。さすが最近の哲学書のベストセラー本です。

 では先生のその本のなにが愉しいのか?

 それは哲学することの愉しさを味わえるからです。野矢先生が哲学する方法と過程を追体験することにより、自分自身の「読む力」によって未知の領域、ここ数年の流行の言葉を使えば、「あらたな風景」をドンドン見ることができるからです。

 そう、哲学するとは自分の読み考える力で、今まで見たことがないあらたな風景を発見し、それを愉しみ、そこに至ったことに快感、自己達成感、自己肯定感、幸福感を感じることです。だから哲学する見本である先生のご高著を拝読するのは愉しいのです。

 先生のご高著を拝読しながら、ボクは「スポーツとはなにか?」というあらたな論考をドンドン発展させています。

 その論考の要点は、なぜ「スポーツとはなにか?」と問われ時に、多くの方がまず競技者の立場からその答え=解を得ようとする、スポーツを定義してしまうのか、その習慣の秘密を明らかにしようとするものです

 スポーツはあるルールに基づき競争するものですが、どのスポーツも最初に競技者は存在せず、ルールを考えた人間がいただけなのに、そのルールを考えた人間の立場からスポーツを定義することはほぼなく、あろうことかそのルールを創った人間は完全に忘れ去られ、そのルールができた後に、そのルールに従ってただ競技するだけの人間=競技者の立場からまずスポーツを考えてしまう、それはどうしてなのか?その過程を緻密に分析することによって、またあらたなスポーツの定義ができそうだ、そういう意欲と希望を与えてくれる、それが野矢先生の本、だから拝読するのがとても愉しいのです(きっとあなたも)。

 もしよければあなたも一緒に哲学しましょう。そう、なにかあなたがご興味のある対象を、「なぜこれは生まれたのか?」、「もしこれがなければどうなるのか?」、つまり「これはなにか?」ということを、これでもかこれでもかとしつこくしつこく考え抜きましょう。

 なぜそうする必要があるのか?その理由は、あらゆる欲望が果てる、もはや何も生まれてこない平安で静かな境地に運んでくれ幸福になることができる、それが哲学の役割のひとつだとボクは思うからです。だからあなたにもお薦めするのです。