あなたは「覚悟」という言葉をどうとらえ、どういう時に、どういう気分でその言葉を使いますか?

 ある方は、不測の、予期せぬ事態に備える心構え、あるいは期待通りにならないかもしれないという残念な思いを抱くこと、そのようにややネガティブに「覚悟」という言葉を捉えるかもしれません。

 ところが仏教の世界では、真理、道理に目覚める、つまり「悟る」というポジティブな意味で捉えます。

 「覚悟」という言葉は上の例のようにアンビバレンツな意味を持つ、とても多義的な言葉だと思うのですが、実は先日坐禅をしている時に、「覚悟」とは一体どういう意味で、ボクは「覚悟」をどう捉え、これから生きていく上で、その言葉とどう向き合えばいいのかと考えてしまったのです。だから、あなたにはとてもご迷惑なのですが、答えを共有したくて、いま質問しています、ご容赦を。

 現在のボクのレベルでは「覚悟」は「悟る」とは捉えることはできず、あらゆることを想定し、自分が想定する以上のこと、つまりまったく未知の、これまでの知見を総動員しても分からないことも起こりえる、そういう事態に遭遇しても慌てず騒がず極めて冷静でいよう、その想いを全身に、特に腹の底、丹田辺りに深く記憶させ、あらゆる事態への対応策を頭から血が出るほど非常に緻密に考え尽くしたその後は、一度その全対応策を忘れ、遭遇する事態にただ受け身で柔軟に対応し、事態が善くないと思えば、その事態を突破する機会をじっくりと待ち、最大限の勇気を持って何の後悔も残すことなく素早く大胆に行動を開始する、それを「覚悟」だと思ったのです。

 そう考えると、少し肩の力が抜けて楽になりました。そう「覚悟」はしかめっ面で決定する態度ではなく、ドンと構え笑顔で事態に臨み、感じ、受け止め、赦し、でも「負けないよ」と笑いながら一歩前に進もうとする、進む、実にタフな態度、そう思い坐禅を終えたのです。そして、そういうタフな態度は深い慈悲の想いから生じるのだろうと坐布からそっとお尻を浮かせ立ち上がったのです。