行政組織とそこで働く人間達は一体何のために存在しているのでしょうか。

 その存在理由と意義がまったくわからない事態を、最近またあらためて全存在、全身体的に体感しました。

 無意味に勤務時間をただ消費し、さも働いているように見せかけている人間達、仕事をしないことを仕事としている、とにかく責任を逃れることのみを考え仕事をしている行政関係者達に、不幸なことにみなさんも今まで多数お会いしたことがあると思いますし、まだの方も今後嫌になるほどお会いになることでしょう。

 そういう人間達が、担当期間が無事に過ぎ、他の部署に3~5年ごとに異動することだけを考えながら(姿を消し国民・県民・市民から特定されることなく、早く定年を迎え、年金生活をしたい)、スポーツの意味も意義も一切考えることなく、「私がスポーツ行政担当者です」などと名乗るのはおこがましいにもほどがある。そういう人間達が、オリンピックや「国体」、自治体主体のマラソン大会などの実務を担当しているんだよね。平等というコンセプト(でもこっそり賄賂を受け取りながら、あるいは恫喝されながら、思いっきりどちらかに比重をかけて)の下に「多目的」という名の「無目的施設」や利得を得ることだけを考えた特定目的的な大会を無数にせっせと創りながらね(そのことだけは非常に熱心に)。あああ。