腰が痛いんですよー。お尻、尾骶骨近くがプクッと膨らんでいるんです。いわゆる打撲です。

 昨夜、3か月ぶりのフットサルということをプレイ中にほんの一瞬忘れ、ボールを奪取しに行った際に、右足がボールの上に中途半端に乗ってしまい、そのままツルン、ドタッんと床にひっくり返ったんです。何とか両手で受け身を取り、幸いにも後頭部を打たずに済んだのですが、その際に腰をひどく打ったんです。もし頭を打っていたら、一体何のために多大な時間と労力とお金をかけて午前中に脳のMRI検査をしたのかがわかならくなるところでした。

 先日も、従姉がインストラクターで、ZUMBAにも興味があったので、帰島後、月1回の無料のZUMBAレッスンに参加していたのですが、よくよく考えるとZUMBAを長い間心から愛しているわけではなく、また男性参加者がボク1人で、一言も話したことがない女性達と一緒にレッスンを受けるのもお互いやりにくいと思って参加停止を決めたのですが、フットサルも長くても今年度末か年内で引退ですね。

 そもそもサッカークラブや各学校の部活動でサッカーを競技していたわけでもなく、10年以上もボールを蹴っていなかったのですが、ZUMBAと同じように帰島を機に「なにか」を求めて始めたのですが、もう十分楽しみました。なんだか色々な種類のサポーターやアイシングギアや色々な部位のアイシングの時間が増えていくのにも少々飽きてきたので。

 残るはロードバイクと散歩だけですね。バイクもあと長くて6年かな。その後は散歩だけですね、ボクはそれだけで十分です。散歩は哲学も大いにできますからね。現在、車を所有しないのは(東京時代はBMWなどを所有していました)、あるいはかつて日本で3台しかないベンツのCLKを無期限無料で貸してあげると言われてもお断りしたのは、実は車の運転が好きではないためで(借りをつくるのはもっと嫌だしね)、その理由は事故や環境問題などさまざまなリスクが大きいことと、哲学ができないからなんです。公共交通機関や徒歩は哲学=立ち止まって考えることができますからね。

 ところで、みなさん、「健康」をどう定義されますか。つまり「健康って何でしょうか」と問われたら、みなさんはどうお答えになりますか?

 実はこの問いと解はスポーツ哲学という学問のABCなんですけが、ちなみにWHOでさえ、

約70年前に次のように定義しています。

 

 

 ボクの健康の定義は、「それぞれが、それぞれの幸せを追求できる状態を健康という」です。

 そう、いつかは脱ぎ捨てる肉体だけに固執することを健康とは言わないし、健康とは状態、手段であり最終的な目的ではない、そうボクは思います。あ、「幸せ」の定義は、拙著に書きました。

 しかしとにかく最後の日までフットサルは愉しみます。「股抜きイノチ」で。