時間と空間は哲学でも物理学でも主要なテーマのひとつですが、2つに共通する日本語の「間」。この「間」という概念こそがもっとも大切と考える方々が、哲学では「関係」、たとえば私とあなた、つまり私と他者をつなぐ間主観性=相互主観性という概念などを構築して研究されています。まあ、ボクもそのひとりかな。

 いやあね、今日もですね、この小さな島で、何億光年もの昔の星の光を浴び、現在世界最高のヴァイオリニストともいわれるラトビア生まれのギドン・クレメールさん(現在74歳)が演奏される、アルゼンチン人のタンゴ演奏家・作曲家のアストル・ピアソラさんが1960年前後に作曲された楽曲を聴きながら、760年前後に中国 唐の時代に書かれた陸羽さんの『茶経』を拝読している時に、時間と空間、彼らの主観と私の主観、その「間」をシミジミと体感していたんです。遠く離れた時間と空間が、「いま、ここ」という1点にギュッと凝縮され「在る」ことに驚いていたんです(永井均先生のお言葉のタウマゼインですね)。

 同時に、ようやくアルゼンチン人のアルケッティ先生のご高著『masculinities』のタンゴの章に入ったこともあり、ボクとタンゴの「間」、ダンサーとダンサーの「間」を考えていたら、日本を代表するバンドネオン奏者の小松亮太さんの素敵な本が読みたくなったのですが、ここ数日、色々な本などを買い過ぎたので、ちょっと「間」を空けることにしました。

 「冷静と情熱の『間』」って、大切ですね。最近、ようやく「不動心」が何に直結するのかがようやく解り始めました。これはね、ボクにとって大きな発見なんです。また「間」を空けて、いつか。