こんばんは。
今日の千葉県外房は冷たい雨と強い風により、とても寒い一日となりました。
先日、改めて6日間という短期間でタイ北部の街チェンライを再び訪れました。
目的は2つ。
目的①
➡︎レイさんとの関係をしっかりと構築すること。
目的②
➡︎今後の人生の進むべき道を見つけること。
結論からお伝えしますと、
目的①、②共に達成されました。
レイさんとはお互いの過去や家族、仕事などの人生についてゆっくり深く話す事ができました。
将来についてもお互いにやりたい事、こうなっていきたいという具体的な内容を共有する事ができました。
先月は出会って4日で帰国してしまったので、
何がなんだか分からないままLINEでの通話やメッセージのやり取りのみだったので、レイさんも僕がどんな人で、自分が僕にとってどんな存在なのか?と不安に思っていたようでした。
そうだよね、突然現れた外国人によく分からないまま、一緒にいて、自分の事もなかなか伝えられないなかったよね💦
でも、今回はじっくり話す事ができ、お互いの感情が前回よりも重なるようになったように思えました。
続きまして、
目的②の今後の進むべき道を見つけるという命題について。
今回、僕は9年ぶりにチェンライ郊外のドイトゥンパレス(Doi Tung Palace/พระตำหนักดอยตุง)を訪れました。
実は僕はこの宮殿の中で、下記、シーナカリン王妃のお写真にどうしても謁見したかったんです。
ドイトゥンパレスの概要とシーナカリン王妃(メーファールアン)について
所在地:タイ北部・チェンライ県メーファールアン郡(Mae Fa Luang)
建設年:1987年(仏暦2530年)
目的:シーナカリン王妃(通称:メー・ファールアン)が北部の山岳開発プロジェクトを指揮・視察する際に滞在するための離宮として建設。
🌸 建築の特徴
建物様式:
スイスのシャレー風建築(王妃が留学時代を過ごしたスイスの山荘に似せたデザイン)と、
ラーンナー様式(北タイの伝統建築) を融合。
素材:
タイ各地から集められたチーク材を使用。
外観は素朴ながら、内部は木の温もりと花々の香りに満ちています。


周辺環境:
標高約1,500メートルのドイトゥン山頂近くにあり、

敷地内には「メーファールアン庭園(Mae Fa Luang Garden)」が広がります。
この庭園は、王妃が「タイの人々にもスイスのような花の景色を見せたい」と願って造られました。


🕊️ 背景と意義
かつてこの地域は、
アヘン栽培・貧困・森林破壊などに苦しむ山岳民族が多く暮らしていました。
シーナカリン王妃はその現状を見て、
「人が生きるために森を壊すなら、森と共に生きる道を探さなければならない」と考え、
「ドイトゥン開発プロジェクト(Doi Tung Development Project)」 を立ち上げます(1988年)。
その理念は、
🌱「森を守り、人を生かす」
🌾「施しではなく、自立を支える」
というものでした。
このプロジェクトにより、地域の人々は麻薬栽培から離れ、
コーヒー・マカデミア・花卉・観光などの産業で生計を立てるようになり、
今では国際的にも成功例として知られています。
👑 シーナカリン王妃(สมเด็จพระศรีนครินทราบรมราชชนนี)
英名:Princess Mother Srinagarindra
愛称:แม่ฟ้าหลวง(メー・ファールアン)=「天からの母」
🌸 生涯(略歴)
生年月日:1900年10月21日
本名:サーン・コンソーン(Sangwan Talapat)
出身:バンコクの庶民家庭(歯科医師の家に養子として育つ)
学歴:アメリカ留学中に当時のシーナカリン王(後のラーマ6世)の弟、
ソンクラーナカリン親王(Prince Mahidol of Songkla) と出会い、結婚。
彼女は、現国王ラーマ10世(ワチラロンコーン国王)のお祖母様にあたります。
🩺 活動と功績
医療、教育、貧困救済のため、タイ全土を歩き続けました。
特に、チェンライ県・チェンマイ県などの山岳地帯では、
僧侶や医師が近づけなかった地域にまで自ら赴き、医療支援・学校設立・農業支援などを行いました。
その姿勢は、慈善というよりも「共に生きる」ことそのものでした。
「彼らを助けるのではなく、彼らが自分の足で立てるようにする」
— シーナカリン王妃の信条
天からの母に抱かれて
— ドイトゥンとワット・サンティキリにて —
北タイの山あいを包む朝霧の中、
風は茶畑を撫で、鳥の声が谷に溶けていく。
その静けさの中に立つと、
なぜか胸の奥が熱くなり、自然と涙が溢れてくる。
ドイトゥンパレスも、ワット・サンティキリも、
どちらも「メー・ファールアン(天からの母)」の祈りが息づく場所だ。
シーナカリン王妃――
かつてタイ北部の貧しさと孤立を見つめ、
山岳民族の子どもたちの未来を願い、
自らの手で“希望”を植えた人。
薬草を教え、病人の手を取り、
教育の灯をともした。
その優しさは、ただの慈善ではなく、
「同じ目線で生きる」という、
深い愛の実践だった。
今、彼女の歩いた道を歩くと、
その眼差しがまだそこにあるように感じる。
緑の葉の揺らぎの中に、
遠くの笑い声の中に、
見えないけれど確かに息づく「やさしさ」。
だから人は、この場所で涙を流す。
それは悲しみの涙ではなく、
人が本来持っている「優しさ」と「つながり」を思い出した時に
静かにこぼれる、再生の涙だ。
