おはようございます。
今日も千葉県外房は冷たい雨☂️と風🌪️が吹いています。
木々は秋の色づきを見せており、
中には葉が落ち始めている樹木🌲🌳も見られます。

前回の新章では、
タイの皇族であらせられた故シーナカリン王妃が晩年に過ごされたドイトゥンパレス。
その地で、王妃が実践された、
北タイの少数民族を自立の道へ導いたドイトゥンプロジェクトについてお伝えしました。

ドイトゥンプロジェクトでも主要産業となっている。
本記事第2章では、
シーナカリン王妃が目指された北タイの少数民族の貧困対策が30年以上の時を経た2025年。
現実にどのような生活と経済状況となっているのか。
その一つの例として、
レイさん(チェンライの夜の飲み屋さんで働く女性)の置かれた状況を書きたいと思います。
題名: 「祈りの先にある街」
朝の光がカーテンの隙間から差し込む。
彼女は静かにスマホを開いた。
そこには、母からの短いメッセージが届いていた。
「お金、今月はまだ?」──その言葉を見た瞬間、
彼女の胸の奥で、何かが小さく沈んだ。
チェンライの街で暮らす彼女は、
モン族の小さな村から出てきたシングルマザー。
夜の街で働きながら、
遠くの家族と子どもを支えている。
村では、娘が仕送りをするのが当たり前だった。
それは愛の証であり、誇りでもある。
家族のために働くことは、
女性としての優しさの延長にあるように教えられてきた。
けれど、その優しさはときに鎖のように彼女を締めつける。
どんなに疲れていても、
母からのメッセージには「はい」としか返せない。
そのたびに、笑顔の奥で小さなため息が生まれる。
「仕送りをやめたいわけじゃない」
彼女はそう言った。
「でも、私も自分のために生きてみたい」
その声は、風のように静かで、
どこか遠い祈りの響きを持っていた。
私は何も言えず、ただ頷いた。
助けるでもなく、諭すでもなく、
その心の揺らぎを受け止めるしかなかった。
夜、彼女はカウンター越しに微笑んだ。
客たちの笑い声が遠くで響く中、
その瞳はまっすぐに未来を見ていた。
「いつか、自分のお店を持ちたい。
小さくていい。自分の名前で働きたいの。」
その瞬間、彼女の言葉の奥に、
確かに光が宿っているのを感じた。
仕送りは、彼女にとって愛の形だった。
だが本当の愛とは、
誰かの期待に応えることではなく、
自分の中にある小さな希望を育てることなのかもしれない。
誰も悪くない。
ただ、優しすぎる心が、いつも自分を後回しにしてしまうだけ。
今日も彼女は、母のために送金アプリを開く。
その指先に、祈りのような光が宿っていた。
