こんにちは。
今日も朝からシトシト☂️、
秋から冬に変わろうとする時期の霧雨が降り止まない千葉県外房です。
日本の皆さまはご体調を崩されてはいませんか?
僕はタイ北部の街チェンライから帰国後1週間、チェンライと千葉県外房の寒暖差が20℃近くあり、ヒートテックを急いで箪笥から取り出した今日、この頃でございます。
今日はチェンライのバービアで出会ったモン族の女性レイさんが、
両親、親族、バービア友達からのお金の要求に困惑しながらも、
優し過ぎる性格のため、その要求に応えてしまい、自分の心が苦しくなっている状況をお伝えしたいと思います。
彼女の心の内側にはシーナカリン王妃の理念が根付いていて、自分も貧しいながらも王妃が大切に持たれていた「慈悲の気持ち」が感じられます。
レイさんは今、一時的に実家に帰宅して、

自分の子供、小学生の弟の面倒を見て、
朝晩は出稼ぎに行っているお母さんの代わりに家族の食事を作っています。

豚のラープなどが食卓に並びます。
朝は6時に起きて薪に火をつけ、お米を炊き、
スープに使う野菜を洗い、手際よく調理をしていく姿が目に浮かびます。
実は、レイさんは料理上手なんです。
チェンライのホテルやお店では目にしない日常的な料理が写真を観るだけでもホッとさせてくれます。
父と弟2人(腹違い)の要望も聞き、
自分の子供の幼稚園の送迎、家事全般をこなして夜7時には薄暗い実家の明かりを頼りに、
コンクリートの床の上に建てられたテントに潜り込む。

自分のスマートフォンで子供に読み聞かせをする。
そこで始めて自分の時間ができるが、
そこにはさまざまな人たちから、新しい要求が入ってくる。
そのような状況に置かれたレイさんについて、
僕が感じている事を書いてみますね。
「優しさの行方」
朝の山あいに霧が立ちこめる頃、
レイは小さな弟のために、
学校の帰り道で買ったガムとクラッカーを袋に入れる。
母は早朝から町へ出稼ぎに行き、夜になっても戻らない。
だからレイが、家族の食事を作るのが日課だった。
炊き立てのご飯の湯気の向こうで、
弟が笑う。その笑顔を見ると、疲れが少しだけ和らぐ。
けれど、スマホの画面には時々、
友人や親族から届くメッセージが光る。
「少し貸して」「今月、助けてくれない?」
そのたびに、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
断れない。
優しさが、彼女の中では「義務」と似た形をしている。
誰かを助けたい、という気持ちは本物だ。
でもその優しさが、いつの間にか彼女自身をすり減らしていく。
「私、悪くないよね?」
そう呟いた夜、レイの声は小さく震えていた。
誰も悪くない。ただ、彼女は優しすぎるだけ。
──そんな彼女の姿を見て、私は思い出す。
チェンライの山の上、
「ドイトゥン・パレス」に立ったシーナカリン王妃もまた、
貧困の中で苦しむ山岳の人々に寄り添いながら、
“本当の優しさとは、自立を支えること”だと語ったという。
王妃は慈悲の人だった。
けれど、ただ与えるだけではなく、
「人が自ら立ち上がる力」を信じた。
レイの中にも、その祈りの欠片が確かに息づいている。
誰かのために働く優しさと、
自分の未来を選ぶ勇気。
その両方を抱えて、彼女は今日も街へ出ていく。
夜、仕事を終えて小さな屋台で麺をすすりながら、
彼女は微笑む。
「いつか、自分のカフェを開きたい。
お母さんも弟も、そこで一緒に過ごせたらいいな。」
その言葉に、風のような祈りが重なっていた。
誰かを想う優しさと、自分を想う強さ。
それは、遠い昔にシーナカリン王妃が灯した光の、
続きのように思えた。
