※SONWAIのブログを読んで下さっている皆様へ。
ブログへのコメント欄に、悪質なコメントが書き込まれることが頻繁に起きています。
内容は極めて不快であり、ココログ側に通報の上削除と言う形を取らせて頂いていました。
ですが改善されないこともあり、今後はコメントを【承認制】とさせて頂くことをお知らせ致します。



19日は、久しぶりに鳥原の鎮守様・石尊神社に行って来ました。
ぼんぼんの散歩を兼ねたご挨拶です。
ぼんぼんは、石尊神社に誕生の報告とお礼をしたきりです。(もちろん、エマも一緒でした。)
この時期は、石尊神社に立ち寄るヒトがとても少なくなります。
人気が無い石尊神社は、肌を切るような冷たい静謐な空気が流れています。
そのエネルギーに触れると、考えている色々なことが1つ1つ整理されていく感覚があります。



SONWAIが白州に嫁ぐ決断をしたのは、石尊神社に呼ばれたことが理由の1つ(と言うか、それだけの理由かも・笑)です。
幼い頃から幾度と無く夢に顕れた神社とご神体を、ずっと探し続けていました。
探しても探しても見つからなかったその場所に、結婚前に主人が連れて行ってくれました。
その時に、「あ~、私はこの場所に呼ばれていたんだなぁ…。」と覚悟を決めたわけです(笑)。



愛だとか、世間体だとか、そんなことで結婚したんじゃないんですよー(爆)



静かな神社に足を踏み入れると、色々なことがグルグル巡ってきて、いつも独り言をブツブツブツブツ(すでに独り言の世界とは言えないんだけど[E:sweat01]何しろ、話しかけているわけですから。>って誰にっ[E:annoy]???と突っ込むのは、止めましょう~♪)状態になっていて、多分、半分あっちに行っちゃっているんだと思うんです。
凄く思考がクリアになるし、どんどんヴィジョンが入ってくるし。
思考が行き詰っちゃって、どん詰まりになった時なんかは、とても精神衛生上の助けになるのが、石尊神社なんです。



今回、SONWAIがずっと考えていたことは、ある漫画を読んだことがきっかけでした。
「ブラック・ジャックによろしく」と言う漫画で、実写版のドラマでも放送された漫画です。
昨年4月から右手の背側がかぶれてしまっていて、炎症が酷くなってしまったんですよね~。もう、痒くて、痛くて。。。
韮崎の皮膚科に行って、待合室にあったその漫画を読んで、ずっとずっと考えていたことに火が着いたって感じでした。



それは人間の欲とか、理性とか、利己主義とか、進化しているのか退化しているのか…とか。
問いかけても問いかけても、答えが出ない…堂々巡りの哲学的(苦笑)なことに対してのヒントみたいなことでした。



SONWAIは、ネットに氾濫している多くのスピリチュアル的なことに対して、ほんの少しの違和感があります。
全てを否定するつもりも無いのですが、何かどうしても【ご都合主義的解釈】をしているサイトが多過ぎるからなのでしょう。
そう言う意味ではSONWAIの言っていることだって、何がホントか何がウソか…なんて、誰にも分からないSONWAIの潜在意識の話なわけですから。



だけど、何だか…背中がむず痒くなっちゃうんです~[E:coldsweats01](笑)



もっともらしく語ることが出来るヒトの、その一番奥底にある自我を感じ取ってしまうからなのかもしれません。
凄く素晴らしいヒントを示唆した後で、もっと極めたければ本を買ってください…だとか、自分の開催している高額な講座に参加したヒトを応援する姿だとか…そう言うのが、何かこう…すごーく受け付けられないのかもしれません。
SONWAIも有料のワークを開催しているので、批判がましいことは言えない立場ですけど…。
だけど余りに高額なワークショップや受講料って、何だかなぁ…と感じてしまうんですよね。
それぞれの価値観には違いがあって当然だと思うのですが、何万とか何十万とかって…ねぇ…[E:coldsweats02]ビックリーって思うわけで(爆)



そう言う風に感じるのは、『トレード・オフ』のことなのかなぁ~…と漠然と感じていたのですが、何となく、対極にあるモノのバランスの取り方をどうすれば良いのかと思っていた中で、石尊神社と言う場で示唆されたヒントを得ることが出来ました。



トレードオフ(trade-off)とは、一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ないという二律背反の状態・関係のことである。(Wikipediaより一部抜粋)



たとえ話で、とても分かりやすく書いてくれている話があります。



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[CRYPTO-GRAM日本語版]人とクマのセキュリティ・トレードオフ
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20061006/250163/


私は「SlashDot」に掲載されていたこの話(<http://yro.slashdot.org/comments.pl?... >)が気に入っている。
「1980年代のヨセミテ国立公園では,クマが深刻な問題だった。クマがキャンプ場に入り込み,ごみ箱をあさるのだ。こうした状況は,クマと人間の双方に危険を及ぼす。そこで国立公園局は,開けることの難しい丈夫なごみ箱を導入し始めた。このごみ箱には取っ手が二つあって,そこに付いている留め金を外すなどしないとふたが開かない。ところが実際に導入してみたら,そのごみ箱のデザインをいかすことが非常に難しいことが分かった。ふたを開ける仕組みが複雑過ぎて,そもそも人間が開けてごみを捨てることができないのだ。ある公園管理人は『最も賢いクマと最も愚かな観光客の知能レベルは,ほぼ一致する』と語った。」



 これは,バランスを取ることが非常に難しい問題だ。人間は賢いものの,「ごみ箱を開ける」という問題の解決に多くの時間をかけるような忍耐心や欲求を持っていない。クマは愚かだが,ごみ箱を開けることに執着しており,何時間でも試そうとする。この二つを前提条件とすると,人間に便利でありながらクマにとって開けにくいごみ箱を作ることは簡単でない。



Copyright (c) 2006 by Bruce Schneier.



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少々皮肉っぽいたとえ話だけど、人間のことを端的に言っているなぁ~と感心したものです。



現代社会において最も進化したとされている人類は、進化と表裏一体にある退化もしています。
進化するために退化させた機能があるからです。



進化させた最たるモノが『思考すること』だと言われていますが、SONWAIは思考する為に退化したモノが、見えない世界に対するコンタクトの方法なんじゃないかなぁ…と考えています。



また漫画の話になっちゃうんだけど、【蟲師】でギンコが【蟲】のことを説明するシーンがあるんですよね。
【人間が最も進化しているとすれば、体で一番遠い中指の先っぽが人間。それから人差し指が動物で薬指が虫(蟲じゃなくて)…と分岐して、更にどんどん体の中心に行くに従って下等なイキモノだとすると…【蟲】と言う存在は、魂と命そのものとかになる】って感じの話。



SONWAIはそのシーンを読んで、人間が最も進化して居るのではない…って感じたのだけど、進化して行く過程の中で退化してからこそ進化した…と言う、まさに表裏一体の過程があったことに気付かされました。



その上、WOWOWで放送していた「クリミナル・マインド」で、アイン・ランドのことを言っていたもんだから。
久しぶりにAmazonで「利己主義という気概-エゴイズムを積極的に肯定する」と言う哲学書を購入しちゃいました~[E:shine]
この本、20世紀に英語で書かれたノン・フィクションBEST100で、全米一般読者投票部門で一位になった本です。
帯に書かれている文章が、こちら↓。



【一切の偽善を排して、真に自由の為に戦い抜いたアメリカ民衆の保守思想家アイン・ランド女史、。本物の自由主義(リバータリアニズム)思想の創業者にて戦闘的実践者の闘う言論、日本発上陸!】



すごーい好戦的な紹介文なんだけど(苦笑)でも、帯裏には、とても力強い文章が書かれています。



【徹底したエゴイズムばかりならば、戦争は起きない!利己的に生きることが出来ない人間は、他人も世界も救えない!】



うん、SONWAIもそう思います。



徹底した利己主義と言うのは、生きることそのものです。
浅はかな考え方で利己主義と言うのではなく、真の利己主義に生きることの難しさを知っていなければ、考えて考えて考え抜かなければ、こういう本は書けないと思いました。
さら~っと読めるような本ではないし、最後の章で訳者解説にあるように「息苦しさ」を感じるほどの内容です。
それは、書かれていることが余りにも正論だからです。



「ブラック・ジャックによろしく」と言う漫画でも、医者の自己満足に関して言及するシーンがあって、患者と人格を切り離せなくて迷いながら医者と言う職業に突き進んでいく姿は、究極のエゴイズムであって、まさに医者の正義なんだって感じるんですよね。
だけど正義を貫くことで失うことも沢山あって…。
そんなジレンマを書いたヒューマン・ドラマなんですけどね。
良い漫画だな…って思いました。

SONWAIは生まれた時からずっと、あっちとこっちの狭間みたいな世界を見続けています。
生まれた時に記憶の奥底に仕舞わなかったし、赤子ゴコロに手放したくないと決断したお陰で、沢山のことを考えざるを得ないようになりました。
見なければ良かったとか、知らなければ良かったとか、そう言うこととは無縁です。
すごく厄介で、すごく面倒臭いと感じるんだけど、だけど探求する想いを止めることは出来ません。
精神的に未熟で幼くて幼稚だった頃は、どうしたら良いのか分からなくて悶々とした時期もありました。
でも今は、探求の旅を楽しんでいる自分が居ます。
楽しめなければ、気が狂っていたんじゃないかなぁ~って思います。



古代カタカムナ人は、直観を鍛える為に思考しました。
何かを理解したい、何かを分かりたいと思うのならば、徹底して観察し探求する旅を楽しむべきです。
答えは出ないかもしれません。
突然、閃くような答えが訪れるかもしれません。



でも、考えて考えて考え抜いて、その後に手放せば、答えは見えてきます。
対極にあって、一見すると矛盾するかのようなことやモノを突き詰めることは、楽しい旅なのですよ[E:happy01]