一日のうちに刻まれる音や色や匂いや文字や絵などは、もしかしたら考えるよりも物凄い数で、睡眠と共に整理されて明日を生きるためには、その日のうちに不必要として削除していくデータは、残るデータよりも膨大なのかも知れない。
情報は生き物だから、脳に記憶に生き残ろうと、強く強く脳をひっかくものもあれば、何かの記憶と融合しようとするものもある。
目を閉じながら何かを考えていたのに、それは何かのはずみで中枢を忘れると、ドミノ倒しのように消去されていって、もうその事をしばし考えてたという事実すら消え去る。
そんな事が毎日のように何回も起こる。
記憶に残ろうとするデータは、実は存在は脆くて、核となる本体を薄い薄い四角の透明な箱状のものに包まれている。
その核をしっかりと脳に刻み込んで、今後の生きるためのデータの1つにしまい込めたなら、核を包む箱も明確な強さを持って、他の記憶と繋がり合う。
しかし、何かのきっかけで核を忘れると、脆い箱はパラパラと散り消えて、初めから存在しなかったように[無]と変わる。
考えていた時間はどれくらいだったのだろうか?
しかし[無]と散った場合は、カクンっと時間の流れを削り取られて、ふと目を開けると0.1秒も経っていない。
夜景の、遠すぎるマンションの小さな灯りでさえも、犬笛の音のように、感知できないほどの小さな隙間から一度は刻まれているのかも知れない。
人は[血]の遺伝よりも[記憶]の遺伝を重んじてみれば、見えなかったひとつの真実が見えるのだろうか?